SixTONESとSnow ManとジャニーズがCDを売り続けること

SixTONESとSnow Manの件、以前にSixTONESはソニー系のSME Records、SNOW MANはavex traxとレーベルが違うのに両者の曲が1枚の盤に収録される、いわばスプリット盤の形でデビューシングルがリリースされるということで、これオリコンの集計はどうなるのでしょう、ということを書いたのですが、結果としてレーベルで分けることなく、両社の盤の売上を合算する形になりました。そしてオリコン1位

ただこういう方針、過去に既に「前例」があることをTwitterで教えていただきました。
1992年の松任谷由実・カールスモーキー石井のデュエット・ソング「愛のWAVE」。松任谷由実は当時東芝EMI所属、カールスモーキー石井はソニー所属だったため、同じ楽曲がほぼ同じジャケットで東芝EMIとソニーから二種同時リリースされました。相違点はカラオケ。東芝EMIの方は「with YUMING」ヴァージョン、ソニーの方は「with カールスモーキー石井」ヴァージョン。
楽曲が「同じ曲である」という点は異なりますが、だいぶ近い。そしてこの曲も合算で集計され、オリコン1位になりました。

しかしリリースに至るまでの2グループの活動はすごかった。一時期はテレビのバラエティ番組見たらだいたいどちらかのメンバーのうち1人か2人は出ているんじゃないかと思うレベル。雑誌もテレビ誌や女性誌を中心にすごい勢いで表紙だし、これまでにジャニーズが得意としてきた従来メディアを絨毯爆撃的に攻めたプロモーションを極めた感があります。
更にジャニーズ勢としては初めてデビュー時点でフル尺に近い(でも本当のフル尺ではないところはポイント)MVをYouTubeで公開したり、その他メンバーの人となりがわかる動画をじゃんじゃん公開したり、またファン・コミュニティ内ではフラゲ日から「この店にはまだ在庫がある」情報が飛び交い、「積み増し」を行おうとする熱心なファンにとってはこの上ない環境。

そんな新旧の施策・状況を取り混ぜて、132万枚超えという数値。デジタルに放った割にはCDだけで、ストリーミングはもちろんダウンロードすらないわけですが。
でも、ジャニーズの場合はなかなかそっちに向かえない事情があるのではないかと、少し思ったんですよ。

利益率的にはCDがダントツで一番なのは当然ですが、もはや従来メディアで販促したら100万200万売れる時代でもなくなりました。そこで多くのミュージシャンは、ライブとそれに伴う物販を収益のメインにする形でビジネスモデルを再構築しているわけですが、ジャニーズ勢はCD売れなくなる前から大会場を押さえてコンサートを開催しまくり、グッズを売りまくっているわけです。
もっと大会場でって考えても、東京ドームをこれまでの実績以上の日数押さえることはさすがに他のミュージシャンもいますので難しいですし、もっとコンサートの回数をと考えても、ジャニーズの皆さんはテレビや映画に出演してそのタレントとしての実績を重ねていくというのがパターンですので、その活動がある以上、それもなかなか難しい。

要するにこれまでの時点で既にCD販売もコンサートも物販もアクセルをベタ踏みで来ているもんですから、CDが減ったからといって「じゃあ他で」と軸足を移せる場所が現状ではどこにもない。だから「もう本当にあかん」という最後の瞬間まで鬼のようにCDを売り続けることになるのではないかと思います。もしくはCD以上に収益性があって、かつ今以上にタレントを疲弊させない画期的なサービスを開発するか。
まあ、そんないいサービスあるなら、もうどっかの誰かが見つけてますか。

で、ビルボードチャートの方は容赦なく別盤としてカウントしていますので、こんな感じ
オリコンの方もむしろ別計算にして両グループのファンを必死にさせた方がもっと売上が上がったんじゃないかと考えたりもするのですが、それやったら短期で疲弊して大量の脱落者が出るのではないかとも思うので、これでよかったのです。
とにかくオタ活は、身の丈に合った範囲で、優しい気持ちで。

Pet Shop Boys「Hotspot」のこと

Pet Shop Boysくらい働き者のユニットもいないと思います。デビュー36年目にして14枚目のアルバム。海外の大御所としては相当なペース。オリジナル・アルバムの間が4年空いたことがない。
そして、各アルバムで様々なチャレンジはしつつも、デビュー時にニール・テナントが言っていた「ポップで、でもちょっと考えさせる音楽」という線は36年間一切ブレていない。
昨年の来日公演も本当に素晴らしくて、もう大好きなんですけど。

新作、PLAYボタン押していきなりものすごいアナログシンセ音出てきて笑ったのですが、このアルバムはベルリンのハンザ・スタジオ録音ということで、スタジオ内のビンテージ級の機材を使い倒した模様。
ざっくり聴いていると、全体的に「集大成」感がすごくしました。
そのアナログシンセで始まるM-1「Will-o-the-wisp」も歌メロ始まってみたら非常に80年代の彼らっぽい音になるし、M-3「Happy People」はものすごく90年代的なリズムとババンバ・ピアノで押してくるコテコテのハウスがベースだし、M-5「Hoping For A Miracle」なんか1990年の「Behavior」に収録されていたとしても違和感ない。
バーナード・バトラーによるアコースティック・ギターで引っ張るM-9「Burning The Heather」のような新機軸はあるものの、最新の音楽情勢をキャッチアップしたような感じは今回のアルバムにはなく。

ただ、リードトラックとして公開されていた「Dreamland」は、彼らにしてはもうとてつもなくわかりやすく現在のBrexit状態のUKのことを題材にしているわけですし、「Hoping For A Miracle」もそんな感じで。
ぶっちゃけ彼らの英語は決して難しくはないんですが、その分単純に訳した意味で捉えてもいけなくて、で、国内盤買ってないから訳詞もわからず、いろいろ訳してみたのですが、特に「Burning The Heather」はこれ一文一文は簡単ですが、全体としての意味は自分のレベルではとても難解で、でも何となく今のEUのことではないかと思ったりして。

考えてみると、だからハンザ・スタジオでビンテージ楽器を使用した過去の集大成的な音にする必要があったのではないかと。
元々ヨーロッパを平和にするはずのEUという仕組みが、そのせいで諍いを起こしている、UKは特にそこから脱退するかどうかという、正直本来的な意味から考えると「退化」に向かおうとしている。
そういうところまで含めて生粋のUK人であるPet Shop Boysが、そういう表現をしているのだと。

たぶんUKでポピュラー・ミュージックをやってる人、人気商売ではありますので、なかなかはっきりしたことは言えないと思います。保守党か労働党かの二択とは比べものにならないくらい複雑な二択ですし、そもそもThe Blow Monkeysがサッチャー首相を「たかが雑貨屋の娘じゃないか」とDISった頃から、コンプライアンス的にも相当変わりました。

そういう世の中で、今言える、表現できることをして、こんなアルバムタイトルを付けているのだと考えると、やっぱり彼らはとてつもなく信頼できるのです。

2020年の新星堂とWonderGOOのこと

はい、新星堂とWonderGOOの話。
ライザップの子会社になって以降、一度相当に粛清した後は結構落ち着き、名古屋に新店舗までオープンさせていたのですが、今年になって2度目の粛清が開始されました。

01/31 新星堂 エスパル山形店
02/02 新星堂 和光店
02/08 新星堂 ゆめタウン八代店
02/15 新星堂 守口店
02/20 新星堂 アピタ名古屋北店
02/24 新星堂 生駒店

01/13 WonderGOO 加須店
01/31 WonderGOO つがる柏店(TSUTAYAへの業転)
02/09 WonderGOO 藤岡店
02/16 WonderGOO 千代田店

新星堂はこの減少によって74店舗(「エンタバ」業態除く)、恐らく1970年代から保持し続けてきたであろう「日本最大の店舗網を持つCD販売店チェーン」の座から陥落し、1位の座をタワーレコード(76店舗・CAFE業態除く)に譲ります。

TSUTAYAでCD販売している店舗は744店舗、GEOで777店舗ありますから、専門店の数でそういう比較するのはあんまり意味ないかもしれません。でも逆に「うちの近所のTSUTAYAのCD販売は棚1個だけで、とても『CD店』と呼べるレベルではないぞ」ということも非常によくあるので、いろいろ難しい。
新星堂が全盛期の半分以下にまで店舗数を減らしているのは間違いないので、とりあえずそういうことで。

手元にミュージックマガジンの1983年10月号があるのですが、そこに新星堂の見開き広告が載っていて。ていうかこの広告欲しさに買ったのですが。

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この時点で152店。最大で200近くまで行ったはずですので。

で、今後なんですけど、だんだん世の中的にストリーミング勢が増えてきている感はすごくありますので、これまで確認できたのは数例のみだった、所謂「通常盤CD」を出さない事例、ファン向けの特典付きの「初回限定盤」だけしかCDは出ず、本当に初回ロットを捌いたらフィジカルは終わり、みたいな状況がもう少し当たり前感出てくるのではないかと、思っています。

そうなると、アナログメインの店はともかく、正直新譜CD屋は「在庫を並べる商売」ではなくなってきますので、店の形もまた変わってくるのかもしれません。
ジャニーズとハロプロがストリーミングに行くのか行かないのかがけっこう分水嶺。そこが行ってしまったら残るのは一部のバンド・ミュージシャンのみ。それ以外で「塊」と呼べるのは「演歌」くらい、ということになるので。

ここまで考えると、現状で各地にある「演歌専門CD店」っていうのは、結果として「未来志向のパッケージ屋」だったのではないか、と思います。ものすごく本当に結果としてですが。

チケットぴあと電子チケットのこと

一部のタワーレコードに併設されていた「チケットぴあ」、渋谷店だったら入り口入ってすぐ、上りのエスカレーターの脇にカウンターがありましたが、昨年12月に営業終了しています。
残りの秋葉原店と浦和店、TOWERmini汐留店の窓口もこの2月で終了、これでタワーレコードから完全撤収です。
現在、チケットぴあ窓口は、ショッピングセンターのインフォメーションに併設されているものや、バンダレコード店頭など全国106個所に過ぎませんが、でも正直「ようまだそんだけ残ってるな」という気持ちでもあります。

チケット販売ほどネットによって利便性が上がったものも他になかなか思いつかないレベルですが、電子チケットが増えてきたことでその便利っぷりは更に。

例えば私は今日、本来ならOf Monsters And Menのライブ行くはずだったんですけど、メンバーの急病ということで延期になりまして。
幸いにもメールで連絡もらっていたので事前にわかってはいたのですが、イープラスの電子チケットの券面に「この公演は延期になりました」の表記が出て教えてくれる仕組みがあり、これ相当ぼんやりしていない限り、会場に行ってからびっくりすることはありません。

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先日、LINEチケットの独占先行で4人分押さえたんですけど、申し込みに数クリック、数日後当選のLINEメッセージが来て発券日を告知され、発券日になったらクリックできるようになって、とっとと3人指定して「分配」したら各人に電子チケットがすっ飛んでいくのです。
自分はこれ以上「ペイ」増やしたくないのでLINEペイは使用していないのですが、使用していたら代金の徴収も一瞬で完了できます。なんだこの世の中。
アホみたいに便利、でもひとつの企業のサービスに囲い込まれすぎると、それはそれで何となくリスクではないかと思ってしまうのですが、時々その感覚を利便性が追い抜いていくので困ります。

そしてそれと共に過去の「当然」を忘れていきます。
会社の年寄り同士で話す際、「PCなかった頃、どうやって会議の設定してたっけ」みたいな話題になることがありますが、考えてみれば、チケットぴあなどのプレイガイドで申し込みからチケット購入までを行った最後っていつだったかと思い出そうとしてももう無理で、確か一瞬プッシュホン回線でオンライン予約していた時期があったなあとか、朧げな記憶が頼りなげに顔を出すレベル。現在の仕組みがどんどん自分にとっても当たり前になっていくにしたがって、過去は記憶の向こうに押しやられていくのです。

それでも、学生時分にどうしても行きたいライブのチケット発売日には、だいたい当時の自宅から徒歩10分の所にあった阪神御影駅前の長崎屋の2階のチケットぴあに朝から並んでいたことはすごく覚えています。今は昔、チケットぴあはおろか長崎屋御影店もとうに潰れ、というか「長崎屋」という屋号自体が風前の灯
もう世の中の流れって恐ろしいわ。

BARBEE BOYS@代々木第一体育館のライブのこと

1月13日はBARBEE BOYS@代々木第一体育館。

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BARBEE BOYSについてはまず、1980年代の彼らがどれくらいオリジナリティの塊で、そしてそれ故に解散以降過小評価され続けてきたのか、ということを申し上げねばなりません。

ようやく日本でバンドによる音楽がミュージックビジネスの中心になりつつあった1980年代前半、それでも女性ヴォーカルバンドですら稀な時代に男女ツインヴォーカルというスタイルは、当時の世界中見渡しても超レア。

世界的に見て「男女が共にヴォーカルを取るバンド・グループ」の始祖的存在はIke And Tina Turner Reviewの一部楽曲、Peter, Paul and MaryやFleetwood Macあたりが挙げられますが、これらはメンバーの誰かがメイン・ヴォーカルを取る形であったり、ハモったりという形であって、ここまで並列の「ツインヴォーカル」という事例は、世界的に見ても彼ら以前ではJefferson Airplane/Jefferson Starshipくらいしか思いつかない。

かつ、男女間の様々な機微をストーリー的に転がす歌詞によって男女ツインであることへの圧倒的な必然性が生じ、しかも相当猥褻なことも歌っているにもかかわらず、そのポップネスとユーモアによって全く下品に聴こえないという状態。
要するに世界的にもほとんど例を見ない編成にして、既にその完成形・理想形であったという奇跡のようなバンドだったわけです。

しかし、そういう奇跡的なバランスであったが故に、彼らには一切と言っていいレベルでフォロワーが現れませんでした。正直あんなセンスの楽曲を誰が書けるのかつったら常人には無理だし、そもそもあのスタイルはヴォーカルが男女ともに色男・色女でないと全く説得力がなく、そもそもそんなメンバーどうやって集めるの、という時点で。

かくしてこのパイオニアが立ち止まった時点でスタイルごと終了、断絶を迎えることになります。フォロワーがいなければパイオニアが大きく再評価されることもなく、ただ当時に彼らの音楽に痺れたおっさんおばさんが時々思い出しては「最高最高」と譫言のように呻くだけになってしまいました。

だから今回の活動再開というのは、ただ観られて嬉しいというだけではないのです。おっさんおばはんが当時のあの気持ちを確認しにいくのです。当時のあの熱狂を取り戻しにいくのです。

果たして代々木第一体育館はだいたい同い年のおっさんおばはんでぱんぱんの満員。そしてバンドのメンバーはだいたい還暦かそれ近く。果たしてどこまでやれるのか、という不安はありました。
が、およそ問題なし。豊洲のOKAMOTO'Sとの2マン観に行った友人曰く、コンタの声が厳しかったとのことでしたが、そこからトレーニングを積んだのでしょう、さすがに全盛期までは行かないにしろ、予想以上に大丈夫。
あとコイソのドラムの腕の使い方が何か少し妙に見えたくらい、というか、杏子姐さんがロングスカートからミニスカートに早替えするときにみんな「おー」って、お前ら彼女この8月で還暦なのに何言ってんだ。俺も言ったけど。

イマサの楽曲は調子のいい悪いが比較的はっきりしていて、というかアルバム通しておよそ抜群なのは2ndから4thまでだと思っていて、1989年に「夜のヒットスタジオ」に出演して「chibi」を披露した際、「曲書いてますか」と問われたイマサが「湯水のように」と回答したのを聞いた当時の私は、その回答のセンスを理解できず、「いや、このアルバムのアベレージレベルの曲を湯水のように書いてもあかんやろ」と脳内マジレスしたことを強烈に覚えています。
正味新作も決して傑作とは思いませんが、でももういいの。こうやって曲を書いてライブやるモチベーションが5人にあり、時々でいいからまたライブしてくれれば。

あと、改めての報告ですが、新宿駅西口地下街のカレーハウス11イマサが花を出していました。

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抜群の立地なので普通に経営すればいいのに、時々「背脂カレー」とかの頭の悪いメニューを出すお店です。最近行ってないので、花代分くらいは食べに行きたいと思います。よろしくお願いします。

BAROQUE@ハーモニーホール座間のライブのこと

1月10日はBAROQUEのライブ@ハーモニーホール座間。
昨夏のアルバム「PUER ET PUELLA」が大変に素晴らしく、ライブ行かなあかんと思って日程見て、ツアーファイナルがホールだったので、ここだと思いまして。
でも座間だけど。正直初めて日程見た時「は?座間?」と声が出た。

座間だったのはギターの圭くんの故郷ということもあったのでしょうが、それ以前に「絶対にホールでライブをやる」ことが意図としてあったのだろうと思います。そう思うそういうライブ。
ハーモニーホール座間は1300人強の箱ですが、同じサイズのライブハウスではステージ領域が小さすぎてできない演出をそこここにぶっこんでくる、という意味で。

ライブ本編はおよそ三部構成のような作り。
頭はほぼ前作までの楽曲で構成された形で、でも場としてそのライブの色を作っていく。
そして透過スクリーンが降りてきて映像と共にガッツリ作り込んだ世界観でもってぐいぐい見せ場を作り込んでいく。そして一番いいところでステージ後方にこちらに向けていた白熱電球のサスライト、50近く吊り込んであったんじゃないでしょうか、それが一斉に、光以外何も見えなくなるレベルで発光するというえげつない演出。舞台上の演者の皆さんにはたまったもんじゃない温度でしょうが、でもLEDの温度だったらここまで心に来ない。光とそして熱もガンガン来る。そこで鳴っている壮大な音。ここまで本当に「やりたい音楽をその音楽以上に『届く』形で見せる」ことに成功していて、正直ビビる。
ただライブで演るだけでも間違いない楽曲群を、ここまで伝えにかかってくる「本気」。

それ以降は、緩めのMCを挟んで明るめの曲を中心に。おっさんは作り込んだまま最後まで行ってほしいなあという気持ちはありましたが、きちんとかっこよくてきちんと盛り上がれる場は外さない、ということだと思います。ここは「ビジュアル系の矜持」なのでしょう。

そしてアンコールの最後にようやく、今回のアルバムのリード曲「PUER ET PUELLA」が来て、改めて場を締めて大団円。
自分たちがミュージシャンとしてやりたいこと、ファンから求められている自分たち、その双方に対して誠実に落とし前を付けた「優れた楽曲を多数持つビジュアル系バンド」としての、極めて優れた表現でした。

そして、弦や様々なシーケンスは乗っかってはいるものの、このバンドは全くもって「ギターバンド」である、ということがライブを観て非常によくわかりました。
刻むギター、歪むギター、泣くギター、ギタリストが好んでプレイするスタイルはありますが、圭くんのギターは曲毎どころか1曲の中でも刻み、歪み、泣く。そして「泣く」でも70年代ロックからBon Iverの「Perth」のようなところまで、その間をつなぐような泣き方をするのです。
これはこのバンドが、決まった音楽性でもってずっと続けているのではなく、その時々で自分が好きな音楽があって、その音楽性を吸収しながら進んできたからで。自由で、そういう意志のあるバンドです。もうそれだけでもOKじゃないですか。

だから、これ困ったなと思うのは、このJ-POP全領域込みで考えても相当に高い音楽性と技術を持つこのバンドが、こんな1000人そこそこの動員でもってやってるのってどうなの、ということなんですよ。

アルバムのことを話した時に「ヴィジュアル系の外にアピールするには」みたいなことを言っていたのですが、でもこれ違うぞ、と帰り道に考えていました。
まずアピールすべきは、BAROQUE推しじゃないバンギャだ。

バンギャパワーはゴールデンボンバーがお茶の間のスターになる前段を首尾よく整えたり、同じくお茶の間のスターとなったGACKT先生を長期にわたって音楽面を支え続けたりと、本気になるとなかなかエグいものがありますし、当然ライブをいろいろ観てますので、その審美眼も高いはずです。であれば、BAROQUEの今回のライブのレベルであれば少なくとも「エゲツないことやってる」ということは伝わるはずだと思うのですよ。

ただ、彼らが所属するフリーウィルは、ストリーミングも解禁していないし、V系が多数出演するフェス的なところにもこれまでは出ていかない方針、という点が正直厳しくはあります。
何とかして「伝わる」ところに行ってほしいと、心から思います。

RealSoundに原稿書いたことと、中島みゆきがストリーミングに音源解禁したこと

RealSoundに原稿書きました。現役ミュージシャンによるアイドルへの楽曲提供を「クロスオーバー」と称する形で過去からまとめてみました。
前回と重なる領域もあったため、けっこう書き分けに難儀したのですが、でもこういう、放っておかれたら気になっていることではあるので自分で勝手に調べてブログに書いてしまうようなテーマを原稿依頼として振ってもらえるのは、正直ありがたいです。
もう、商業サイトではこういう「タイムライン芸人」として地味に生きていく所存です。

ただ、2年ほど前自分内で「TSUTAYAバブル」と呼んでいる状況があったのですが、それ以降はCD店・レンタル店についての原稿依頼はありません。それ以降も継続的に観察しているのでいろんな切り口で書けるんですけど、まあすげえ地味な話にしかならないことはわかります。引き続き当ブログで。

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中島みゆきが昨日付でAmazon Music限定でストリーミング解禁。全曲ではなく、見た限りではカップリングを含むシングル収録曲のみのよう。

先日「ストリーミング解禁してないミュージシャン」について書いてからそんなに経たず更にその一角がまた崩れた感じです。
私はApple Musicなのでまだ聴けないのですが、安室奈美恵がApple Music限定の形でストリーミング解禁したのが2019年6月17日で、Spotify等他のサービスで解禁されたのが同年9月20日。
これと同等と考えると、3か月待てばよい、ということで。ことなのか。サンプル数が少ないのでわからない。

こういう形の限定解禁があるということは、まだ解禁してない人には各サービスの担当が日参して頭を下げていたりするのでしょうか。そして山下達郎家の玄関前で取り付く島もなく追い返されたりしているのでしょうか。

いやでもそれでいいんですよ、納得できなければ。
もちろん、各ストリーミングサービスを使用して音楽聴き始めたような若い人にとって、ストリーミングサービスで検索できないということは存在していないこととイコールですが、ミュージシャンとしての自分が音楽に関わるうえでのヴァリューとして、盤としてのリリースであるとか、高音質とかがそれ以上に優先されるのだ、ということであれば、それはミュージシャンとしてのこだわりです。

というか、ストリーミングのみで聴いているリスナー側から見れば、ジャニーズの大半や米津玄師やB'zが存在しない世界線って、そんなのを実際に経験できるのってすげえな、と思います。

Maison book girl@LINE CUBE Shibuyaのライブのこと

1月5日はMaison book girl@LINE CUBU Shibuyaというか新しい渋谷公会堂。

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正味、綺麗にはなりましたが会場としては前の渋谷公会堂よりエントランス・ロビー部分が非常にコンパクトになってしまい、導線的にはむしろ残念化。
でも、トイレは非常に豊かになりましたので、これはこれでいい。

で、ライブ。
正味、すごかった。とにかく彼女たちのワンマンライブはとにかくアホみたいに作り込んでくるのですが、何か極まった感があります。
これまでは映像や照明を凝る方向で突き詰めていたのですが、さらにそこから逸脱し、透過モニターに何を映すかだけでなく、それが上下に動いて「どの位置で映すか」「どれくらい透過させるか」が演出上大きな意味を持ち、さらに後ろの大型スクリーンと連動する。
そして一切スクリーンを使わず、ライトとその影だけでその「場」を作ったり、ありとあらゆるアイデアがぶち込まれた演出が次々と繰り出されるわけです。

ただ、自分が心底グッと来たのはそういう大きな演出ではなく。
彼女たちの楽曲はライブ感のあるものではなく、打ち込みメインでかつチェンバー感のある楽曲が大半。振り付けも幾何学感があるものが多く、ライブの演出も無機質な映像がメイン。
そんな中でライブでの彼女たちの歌と動き、その微妙な肉体性が差し込まれることで、他のどのグループにもない微妙なライブ感を醸し出すのですが、今回とてつもなく微妙ではありますが、でもその「肉体性」を最大級に引き出す演出があったんです。

「rooms_」という楽曲。曲間に無音部が多く、今MDにダブったら絶対7曲分くらいでトラック切ってくるだろうよ、という曲なのですが、そもそもライブ全編オタ芸打ったり声援送ったり拍手することすらできないような構成の中で、その無音部、2000人近く入った会場の中、ただメンバーのリズムを取る足音だけが聞こえるのです。
この微妙な、しかし圧倒的な肉体性。心に来る。

そしてそういう手拍子や拍手すらできないような流れの中、いきなり彼女たちの楽曲の中でも屈指のアゲ曲「my cut」が始まり、メンバーも「オイ!オイ!」的にこぶしを突き上げ、でもこっちはそれまでの流れがあるからそんな急にアガれねえよ、と思ってたらその曲がどんどん途中から壊れていってとても手拍子とかできる状況じゃなくなったりとか、透過モニター右半分映ってないんだけど、残りで映ってる映像はちゃんと映っている部分でセンターは合っているからトラブルではないのであろうなとか、そういう心理的な駆け引きすらライブの中にぶち込んでくる。
これ何なんだよ。本当にそういうライブ。すげえアガって盛り上がるとは違う、でも圧倒的なライブ感があったのです。

現在のアイドルシーン、大手ではないところで楽曲とライブと動員と、ということを鑑みると今最も期待できるのはブクガかフィロのスか、ということになると思うのですが、その2組が正味全く違う方向に行っているのがすごく面白くて。
ブクガはライブを「作品」として極めようとしている。フィロのスは「現象」としてその存在をどこまでもアピールしていく。みんな違ってみんないい。
だからまだまだアイドル界隈おもしろいのがたくさんあるってことですよ。みんなライブ行こう。

2019年紅白歌合戦のこと

紅白歌合戦見直しました。
正味、「紅白をフェスにする」という前回の方針は凄い勢いでハマり、正味近年では最強の紅白になったわけですが、今回は恐らくもう去年のアレを越えようという方針ではなかったと思います。
少なくとも「2020東京オリンピック」にまつわる演出という「枷」があり、そういうところには持っていけなかったのではないかと。
見た限り、去年のようなすっ飛び方はなく、既存の紅白としての演出の延長線上でどこまでやれるかという感じに見受けました。
正直、ウサイン・ボルトが出てくる文脈などは全体としてもよくわからず、本当に「2020東京オリンピック」に引っ張られてしまったな、と。

結果として、演出の部分ではOfficial髭男dismに「ルネッサンス」をやらせ、その後綾瀬はるかに「樋口カッター」やらせたところが多分今回の白眉。
あと、出演者名のテロップの下に変な豆知識入れるの、それはテレビ東京の選挙速報か。

ただ、MISIAのステージのメッセージ性もすごかったのですが、結果として氷川きよしの己の肉体を張った表現がそれを上回ったという気持ちがあります。
Twitterでも言いましたが、今後紅白歌合戦がなくなったり今のフォーマットでなくなるとすれば、それは「国民的ヒット曲の不在」とか以上に、ジェンダーの部分によるものが要因になるだろうと思います。

以下、ダラダラ各曲を改めて見ながら思ったこと。

  • 上沼恵美子の審査員紹介の時、「来年は歌だよね」と言いましたが、たぶんリハの時M-1と同じようにCD出してたような気がする。で、ディレクターに「絶対やめろ」と釘を刺されたと推測。
  • 綾瀬はるかはこういう女優・タレントが天職だと本当に思う。OLさんになってたら1日1回はコピー機詰まらせてる。
  • 「パプリカ」の世界展開、歌詞のサビのいいところに「ハレルヤ」というフレーズを入れてしまったので、少なくとも積極的にアピールできるのがキリスト教圏だけになっているの、これいろんな教訓を含んでいると思う。
  • 何組も出場者がいる中には「雑演出」になる方もいて、過去には天童よしみや氷川きよしが食らいがちだったのが、最近は郷ひろみが餌食になっている。
  • 「花火」は何でこんな複雑怪奇な構成の曲が売れたんだろうと思う。それでもポップに聴かせられる彼女が化け物ということなんだろうけど。
  • 日向坂がレコ大と紅白で楽曲違うのは、彼女たちクラスでもまだ新人として認知を拡大せんがための戦略ではないか。
  • 純烈の曲のダンスでも、DA PUMPはキレが違う。
  • 「上を向いて歩こう」を持ってきたくなる気持ちはわかるんですが、やっぱり筋が見えない。でもイケメンだからOK。
  • 「糸」も全く筋が見えないのですが、歌唱力モンスターに歌わせるには抜群の曲なのでOK。
  • 「アナ雪2」の歌の中元みずきさんについては、この曲の需要が一回りした後をとても心配しています。
  • キスマイはロケに行かされる。初登場には厳しい。そして結局デビュー曲を歌うことになる。
  • 「天童よしみがMattと絡む」ことにどのくらいのバリューがあるのか全くわからない。
  • AKBは2年連続「フォーチュンクッキー」だし、その前からメドレーには入っていた。完全に「過去曲」「国際アピール」のための枠でしかない。結局矢作萌夏は何だったんだ。
  • 山内惠介の演出は本当にわからない。1年に1つはこういう謎演出があるのだが、今年の謎度はかなり強烈でした。
  • 三浦大知は逆に何故レコ大で「Blizzard」じゃなかったのか。キムタク娘の楽曲だからというなら、それも微妙なレコ大のジャニーズ忖度。
  • LiSAの応援にのっちとキスマイ宮田連れてくるのはだいぶガチ。
  • 坂本冬美の時、大勢出てきたなと思ったら最後列は映像だった。収納スペースの問題でしょうか。
  • King Gnuはオルタナティブではなく、米津以降の新しい「J-POP」の一形態だと理解する。実際そうでないとこれだけ売れないよな。
  • 丘みどりは美人だからもう何でもいいし、実際演出もそういう感じ。
  • 福山雅治が毎年パシフィコなのと、毎年メドレーなのとは密接な関係があると思う。
  • TT兄弟からTWICEというのは、心底酷いと思う。
  • 五木ひろしはきちんとその年のリリース曲を歌うの、流行歌手の矜持として素晴らしいのだけど、近年のリリース曲は何でかこういうムード歌謡系ばかりなので、こういう「雑演出」組に回される。
  • リトグリをアイドルとして眺めた場合、右から2番目推しです。そりゃチャットモンチーのえっちゃん推しだったのですから当然です。
  • DA PUMPはここから何年も結局「U.S.A.」かよみたいなことになる。というか次回も出られるように頑張ってほしい。
  • 今回の紅白最大の謎が、ヒゲダン藤原くんのピアノが何故アップライトだったのか、グランドピアノじゃなかったのか、ということ。これも収納スペースの問題か。でもだったらむしろエレピの方が絵面としてもよかったのではないか。謎が謎を呼ぶ。
  • もう今の欅坂に内村が入るような余裕はないわけですが、それはいいことなのか悪いことなのかはわからない。
  • 今年の綾瀬はるか最大の失敗は、水森かおりの歌に前説が被ったこと。ていうかマジック気になって歌が全く入ってこない。前回に続き。
  • キンプリの「王子」への振り切りっぷりはすごい。でも、冠番組持てないのはバラエティのロケとかで雑なことさせられないという方針だと思うのですが、それはファン的にはどうなんでしょうか。
  • 86番…。
  • でも特別枠のYOSHIKIは例の特注グランドピアノあるのです。でもヒゲダンとYOSHIKIならYOSHIKIの勝ちだし、特注だから使い回しもできないのです。あと、ツインドラムなのに全くツインドラムの音に聞こえないのは大人の事情でしょうか。
  • SOIL&"PIMP"SESSIONS、ちゃんと社長が仁王立ちしてるの最高だな。
  • AI美空ひばりは、前説明がNHKスペシャルほどではないので、何かあっさり始まってあっさり終わって、NHKスペシャル見てない人には「何じゃこれ」感すごかったと思う。
  • それでも関ジャニとピカチュウは合わないと思う。
  • だから権之助坂46は乃木坂の方に移動。
  • おげんさん、ドラえもんのテレビ主題歌になったところにすごい勢いで乗っかった感。
  • オレノが生じゃなかったのが残念。あと、椎名林檎のバックがSOILだったの、長岡が星野源の方に取られた結果なんでしょうか。
  • 本当、Perfumeは「FUSION」だけで終わった方が画期的でよかったのに。というか「ポリリズム」の後付け感がすごい。
  • ビートたけしが今「浅草キッド」を紅白で歌うというのは、彼にとっての「終活」だと思うんですよ。
  • 隔年で「津軽海峡」と「天城越え」を交互に歌う石川さゆりですが、「津軽海峡」は比較的特殊演出なく、普通に歌ってるような気がする。気がするだけですが。
  • さっき「米津以降」って言ったけど、米津はRADWIMPS以降かもしれない。ただ、RADは4枚目のアルバムの時点で「この人たちは今までに得たファンを連れて生きていくのだな」と思って。まさかその後にこんな大確変が起きるとは思ってなかった。
  • 女性ミュージシャンは結婚すると丸くなるという話がありますし、実際そう思った方も過去にいますが、Superfly越智さんくらい変わった方もいないのではないかと思います。
  • 菅田くんは去年から出場しているべきだったと思う。こういう既存メディアで活躍している人のいい音楽は、きちんと既存メディアで広めるべき。
  • 竹内まりやは、バンドが出てきたら旦那探してやろうと思っていましたが、もうハナからそういう気持ちの人の心を折ってきたのでむしろ笑いました。
  • いきものがかりの「ベテラン感のなさ」は、むしろすごい。彼らもそれをわかっていて敢えて武器にしているような感じもする。
  • ゆずは、悠仁は見るたびに髪型が変わっていて、岩沢はいつ見ても変わってない、という印象でしたが、さすがに最近は悠仁も無茶しなくなった。
  • 結局、直接出場はしなかったけど、今年も「米津無双」だったわけですね。そしてラスト1年の嵐がどんだけ無茶してくれるのか、期待してる。
  • ものすごくキツい言い方をすれば、「音楽」としてのユーミンはアルバム「NO SIDE」で終わり、それ以降は「商品」になったと思っています。
  • 結局全ての楽曲の中で氷川きよしが一番最高。
  • よく考えてみれば「半袖のセーター」って、それ80年代には存在していたのだろうか。
  • MISIAの演出はそれでいいと思うんよ。過去からそういう問題に言及してきた人だ。当事者でなければマウントと言うなら、その先に待っているのは袋小路じゃないか。
  • 嵐はむしろ、ラスト1年でどれだけ滅茶苦茶やってくれるのかを期待してる。紅白で片鱗を感じました。というか「Turning Up」の「Turning Up with The J-Pop」というセンテンスは最高。

2019年日本レコード大賞のこと

紅白まだ見返していないのと、あとレコード大賞については触れておきたいので。
ここ数十年にわたって日本レコード大賞は、その非常に政治的にしか見えない選考方針が取り沙汰されてきたのですが、少なくとも今年は非常に真っ当感のある選考でして。
最優秀新人賞は最も知名度がありセールスも大きいBEYOOOOONDSが順当に受賞。
大賞も、CD売上は乃木坂やAKBほどではなくても、恐らく多少音楽を聴いている人であれば「2019年最も親しまれた曲」として想起するであろうFoorinの「パプリカ」でした。

正直、自分は「パプリカ」は受賞しないと思っていました。理由は、メンバーの年齢的に21時を過ぎての出演はできないので、大賞発表後の歌唱ができないから、という点と、新人賞のBEYOOOOONDSがゼティマという、販売流通をSONYに委託しているレーベルなので、SONY系で両賞が被ることはないであろうと思ったこと。
それでも、今年は偏ることも気にせず、きちんと世の中の認識通りの結論を出してきた。

「パプリカ」は2018年の曲だから2019年の賞を取ることがそもそもおかしいのでは、という意見もありましたが、それは随分前から前例のあること。ヒット曲が「初登場1位」みたいな形でヒットするのが当たり前になったのは1980年代半ば以降のことであり、リリースされてからヒットするまでに数か月以上かかるということままあることなので。
過去事例を確認してみると、

1965年:「柔」美空ひばり(1964年11月)
1970年:「今日でお別れ」菅原洋一(1967年リリース、新Ver.が1969年12月リリース)
1976年:「北の宿から」都はるみ(1975年12月)
1978年:「UFO」ピンク・レディー(1977年12月)
1991年:「愛は勝つ」KAN(1990年9月)
2019年:「パプリカ」Foorin(2018年8月)

こんな感じで結構ありまして、特にこれまでの状況と比較しておかしなことをしているわけではなさげです。

そして今回のレコード大賞で、番組として最も気になったのは「ジャニー喜多川追悼特集」。
ジャニーズ事務所がレコード大賞から手を引いてもうずいぶん経ちます。大賞は1988年の光GENJI、最優秀新人賞も1990年の忍者以降ありません。というかノミネート自体も1991年以降一切なくなりました。もちろんそれ以降もジャニーズからはスターもヒット曲も出ていますので、これはジャニーズ側から何らかの理由でレコード大賞に引導を渡した形ということになります。

それがあの異例ともいえる長い時間をかけた特集。1991年以降のグループはTBSの他番組に出演した際の映像をあたかもそれっぽくシームレスに流す形でお茶を濁し、でも近藤真彦だけはきちんと出てきて、「事務所一丸となって『愚か者よ』を大賞にした」という、正味わかってはいるけどそれ本人が言うたら身も蓋もないやんけということを堂々とカミングアウトするという異常事態。

これは何だったんだと考えて得た結論は「TBSおよび公益社団法人日本作曲家協会によるジャニーズ事務所への全面降伏、公開土下座謝罪」ということです。
レコード大賞は視聴率もどんどんジリ貧になっていき、威光も消え失せ、それは多分に自分らのせいなのですが、とりあえずコンテンツとしての延命を図るために、喜多川氏が亡くなって直接的な遺恨が薄らいだタイミングで、改めてジャニーズ事務所を頼ったということではないかと。
そして今年の選考の結果は「それ以外は何もありませんぜ!」というエビデンスの公開であったのではないかと。

この推測が「正」であり、かつその土下座をジャニーズ事務所が飲んだのであれば、今年の末からはジャニーズ解禁です。
SixTONESとSNOW MANが最優秀新人賞を争い、嵐がレコード大賞を受賞して活動休止前の花道を飾ります。

世の中的には真っ当に見える形になるわけですが、でもそれはレコード大賞が真っ当になったのではなく、一旦なくなっていた政治的要因のひとつが復活するだけですので、再来年以降どうなるかというと、やっぱり地獄しか見えないんですけど、ジャニーズの皆さんが出演することで視聴率が多少でもマシになるのであれば、TBS的にはOKなので、そういう感じで続いていくのです。

※一部発売日を間違えていたので訂正しました。