Rupert Hineが逝去したこと

6月4日、プロデューサーでミュージシャンでもあったRupert Hineが亡くなりました。
過去にも何人ものミュージシャンの訃報を聞いてきましたが、彼は自分の中ではとても重要な存在でありまして、少し昔話をさせていただきたく。

1982年から1983年にかけて、洋楽を聴き始めました。
1982-1983年はMichael Jacksonが「Thriller」をリリースし、Madonnaがデビューしたあたり。そして1983年にヒットしたアルバムで自分が一番気に入ったのはThe Policeの「Synchronicity」でした。
過去作品からの流れで今改めて考えれば、少々カッチリ作り込みにすぎるとも思えるのですが、当時は「何てかっこいいのだろう」「「Mother」の意味のわからなさは何なのだろう」と、夢中になって聴いていて。

一方、「Synchronicity」が売れまくっていたほぼ同じ頃にヒットチャートに入っていた曲がThe Fixxの「One Thing Leads To Another」。

ヒットチャート番組聴いていた時にけっこう「これ好き」と思ってはいたのですが、その後The Policeの「Synchronicity」に伴うツアーの北米公演の前座がThe Fixxであるという話を聞き、それならということでアルバム丸ごとRupert Hineプロデュースの「Reach The Beach」ごと聴いて一気に惚れ込みます。
ここで自分は初めて「サウンド・プロデューサー」という存在を知ることになります。
この年、Howard Jonesがデビューして、「What Is Love」がまたRupert Hineプロデュース。音的に納得感異常に高く、「プロデューサー聴き」の概念を把握します。

翌1984年、3rdアルバム「Phantoms」もやはりRupert Hineプロデュース、これも気に入ったのですが、この年Rupert HineはTina Turnerの復活作「Private Dancer」にも2曲のプロデュースで参加します。
その1曲「Better Be Good to Me」を聴いてふと気が付いたこと。「この曲のギター、The Fixxと同じ音じゃないか」。

やっぱりギタリストのクレジットはThe FixxのギタリストのJamie West-Oramで、ヴォーカルのCy Curninも参加。ついでにMVでも結構目立つ形で出演したりして。
Jamie West-Oramのあまりエフェクトで歪ませない音が大好きだったのですが、当時好きだったBARBEE BOYSのいまみちともたかのギターとの共通項を感じたりしていて。その流れで初期BUCK-TICKの今井寿の出す音も大好きで。


「Phantoms」以降、The FixxはRupert Hineから離れるわけですが、案の定自分にとっては「コレジャナイ」感ものすごく、ただRupert Hine自身の音楽プロジェクト、Thinkmanについてはえれえ大仰な音だなと思いつつも嫌いになれず、そこから遡る形でRupert Hine名義の過去のソロアルバムを聴いてから考えると、Thinkmanは明らかにTina Turnerプロデュース以降の音になっていることに気付きます。

そして、過去のソロアルバムは、1981年の「Immunity」は国内盤も出ているのであっさり買えたのですが、1982年「Waving Not Drowning」と1983年「The Wildest Wish to Fly」は当時は本当に見つからず、ここが自分が輸入盤屋中古盤屋を巡る発端となります。

そして今も四日市市内で頑張っている、当時は路面ではなく雑居ビルの2階にあったROOK RECORDSや、名古屋の当時は東海銀行ビルの地下にあったBANANA RECORDSとかに通うようになり、BANANA RECORDSで電気グルーヴの前身の人生の7インチを見つけたりしながら、どんどんあっちに進んでいくわけです。

というわけで、Rupert HineとThe Fixxは、自分の今に至るいろいろの発端になっておりまして、逝去の方で何となくセンチメンタルな気持ちになって書いてみた次第。
Apple Musicの日本語表記が「ロバート・ハイン」になっているとしてもだ。

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