長谷川白紙「エアにに」のこと

昨日NHKに出ていたまふまふが、ボーカロイド楽曲のすごいところは「人間が歌うことを前提にしていない」ところ、のようなことを言っていました。
確かに何となれば一瞬のブレスの隙もないような曲だって歌わせることができるし、ボカロPの中には既に「ブレス」の概念を気にすることなく曲を書いている人もいるのではないかと思います。
他にも、もう楽器ができなくても曲を書いてアレンジまでするのは随分前から普通だし、iPhoneのGarageBandアプリで曲を制作して、名を轟かせ始めている10代女子もいたりします。

長谷川白紙のニューアルバム
彼がどうやって音楽を作っているのかがわからない。音大所属ということで、何らかの楽器、少なくともピアノはできる人だし、実際歌メロはそうやって作ったようにも感じられる。
ただ、そういうメロディが何でこんな、時に非人間的なアレンジと融合してしまうのか。
前作のYMOのカバー「Cue」の後半を聴いた時には、自分が持っている物差しとのあまりにもな違いに、もう俺は駄目かと絶望しかかったのですが、今作のメロディはよりとっつきやすくなり、古いおっさんでもきちんと聴けるようになっていて助かった。
で、そうなるともうアレンジの一音一音が面白くてたまらない。聴いたことのない「種類」の音楽を聴く面白さ。さらにどんどん世の中は進んでいっていずれもう「何がいいのかさっぱりわからない音楽」も出てくるのかもしれません。でもわかる間はこういうのもガンガン聴いていきたい。

あとは、手練れのミュージシャン連れてきて、全部生音でライブしてほしい。Shobaleader Oneみたいになるぞ。