日本の大衆音楽の「はじまり」のこと

これから書くことは、結論もなければ仮説もなく、今のところただなんとなく思っているだけのことと事実の羅列だけなのですが、徐々に深めていきたいと思っている事象なのでとりあえず書いておきます。

ジャズにしろ、ロックにしろ、ヒップホップにしろ、アメリカで生まれた音楽ジャンルの最初は総じて所謂ブルーカラー層的なところで誕生し、そのコミュニティの中で育まれ成長し、それがホワイトカラー層にまで到達しては更に多様化して、という歴史をたどっています。

が、こと日本では「それを受信する」ところからがスタートであるため、まずホワイトカラー的な層、もしくはそれ以上の富裕層がその情報を受信・共有しやすい東京でその音楽を始め、ある程度発展したものがブルーカラー層にまで到達してさらに多様化するという、全く逆のコースになっている、というのが実際です。

ジャズを日本に初めて紹介したのは、大正元年にアメリカに渡った現在の東京音大である東洋音楽学校の学生だという話ですが、その当時に「音楽の高等教育を受ける」ことができる層がどの程度いたかと考えると、そりゃ相当なハイクラスの方々であることは間違いなく。

所謂「ロック」が日本で流行したきっかけはロカビリーブームに端を発しますが、ロカビリー三人男は、平尾昌晃(東京都出身・湘南育ち・慶応高校中退)、山下敬二郎(東京都出身・柳家金語楼の息子)、ミッキー・カーチス(東京都出身・成城大学中退)という感じ。
その他でも、かまやつひろし(東京都出身・ティーブ釜萢の息子・青山学院大学中退)、寺内タケシ(土浦市出身・関東学院大卒業)、尾藤イサオ(東京都出身)とか。出身地の例外としては内田裕也さんが大阪の出身、大阪で活動したのちナベプロにスカウトされる形で上京。

以降もたとえばYMOは3人とも東京都区内の出身、山下達郎は池袋、佐野元春は浅草近く、杉真理は福岡県出身ですが小学校時代には東京に在住。ナイアガラの親玉大瀧詠一は岩手県出身ですが、いろいろ好事家すぎたが故に東京に出たい一心で職場を東京に求めて上京した人なので、彼は例外中の例外(伊東銀次は大阪でバンドやってたのを大瀧詠一に見初められて上京)。

日本のヒップホップ、単に表現技法としての「ラップ」とすれば、YMOの「ラップ現象」とか佐野元春の「VISITORS」あたりにまで遡りますが、現在に続くジャンルとしての「ヒップホップ」とすると、いとうせいこう(東京都出身・参議院議員の息子)、近田春夫(東京都出身・幼稚舎から大学まで慶応)、高木完(逗子市出身・文化学院大卒)、藤原ヒロシ(三重県出身だが高校時代には首都圏在住、新宿のディスコに通う)あたりが最古参でしょうか。
キングギドラはZEEBRA(東京都出身・文化学院大卒・文化学院大創設者のひ孫)、K DUB SHINE(東京都出身・米の高校への留学経験あり)、DJ OASIS(東京都出身・慶応高校中退)。

本当に日本の音楽ジャンルの始まりはこんな感じで。
私が何とか言語化したい根本は「日米のそのコースの差異は、その音楽の発展・展開においても決定的な差異となっているのではないか」ということなのですが、すっごい何かありそうな気がしているものの、現在のところ全く言語化できる気配なしです。
でも、何か見えてきそうな気がしませんか。もう少しいろいろ考えて、あとは自分のセンスと発想力に期待するしかないという、極めて心もとない状況ですが、でも何か見つけたら結構面白いと思うのですよ。

アメリカ発なのにホワイトカラー・ブルーカラーとは何ぞ、というツッコミもありそうですが、一番無難な表現で、そこは。