14日にはVisual Japan SummitでGLAYを観てTAKUROが随分かっこよかったわけですが、昨日は東京国際フォーラムまで吉田TAKUROを観にいきました。
この歳になるとだいたいどのライブに行っても年齢的に相当に上の方になるのですが、この日は違った。
数年前に山下達郎のコンサート行ったときは親子連れも多かったのでまだ大丈夫だったのですが、昨日東京国際フォーラムの入り口入った時点で明らかに我々よりも一回り以上人生の手練れしかいない。我々が明らかに最年少グループ。
当然そういう時代の方々ですので、この中にどこかの大学のバリ封に参加した人いるのかなあとか、火炎瓶投げたことがある人いるのかなあと考えただけでもうそれなりの緊張感。そもそもあの時代のフォークの人たちは後のパンクの人たち並みかそれ以上に怖かったわけで、その当時のそういう人たちが集っているのですよ。高校のときに必死の思いで名古屋のライブハウスに潜り込んだ時に似た気持ちにもなります。
YOSHIKIの首根っこ掴んで連れてきて「こいつをよく見やがれ!」と命令したくなるほどオンタイムで開始。でもこれも後から思ったんですけど、当時は凶暴だった若者も今や人の親、人の祖父です。家を出るとき「夜の9時半頃には帰るからね」と家族に告げているのです。押すわけにはいかないのです。
一発目の「春だったね」から四発目「落陽」まで70年代前半縛りのMCなしで立て続けて既に1回目のピーク。集った元若者が何を聴きたいか完全に把握している。我々もこの時点で間違いないライブであることを確信。
そして途中最近の曲をやりつつも、要所要所で70年代の名曲を繰り出して決してダレない。時事的にボブ・ディランの「Blowin' The Wind」のカバーもあったりしてもう楽しい。
ただ、非常に驚いたのはバンドメンバー6人+コーラス4人が常にステージ上にいること。70年代前半の曲なんて音源は非常にシンプルなわけですが、それが相当なリアレンジを施されて分厚いアンサンブルで鳴らされている。それはすごく新鮮で楽しかったのですが、元々の音源を聴き馴染んでいるはずの当時の若者はどうだったんだろうと思いまして、でもみんなすごく楽しそうにしている。
よくよく考えてみれば拓郎は従前から過去曲をリアレンジして新しいアルバムに収録するとかしてますし、後からライブ映像探ってみたところ初期のライブから相当アレンジいじくりまわしていましたので、むしろこれが正しく拓郎なのだと理解しました。「生バンドだとCDのアレンジと違ってくるから嫌だ」とか言ってるアイドルオタの首根っこ掴んで連れてきたい気持ちに。
ちなみにバンドはギター鳥山雄司さん、キーボード武部聡志さんは鉄壁として、ベースが元ジャニーズ所属の松原さんだったり、ドラムが白井貴子&Crazy Boysのカースケさんだったり、コーラスに加藤いづみがいたり、そういう人生いろいろもまた趣深く。コーラスの中には加藤いづみの旦那もいて、「吉田拓郎に雇用される夫婦」って何かいいよねって思ったり。
そんなこんなで大変に楽しくかつ滋味深い2時間強。一時は健康に不安もありましたが実に声も出ていて当面大丈夫そう。正直、これを逃したらもしかしてと思っていたのですが、要らぬ不安でした。
MCもあちこちに悪態を付きつつも大変に楽しく「楽屋に3人組のうち2人が来た」っていうのは間違いなくアルフィーなんでしょうけど、誰が来なかったのか気になったり、「関西の2人組が挨拶に来た」っていうのは間違いなくKinKi Kidsなんですけど、その言葉の通り受け取るとしたら、今や業務以外で2人で行動することなど想像も付かないあの2人が並んで一緒に楽屋のドアを叩いたのだと思うだけで、何とも言えない素敵な気持ちになります。
そして「人生を語らず」を聴きながら考えていたのは、社会派フォークから始まったものの直接的なイデオロギーを語ることは避けてきた感のある吉田拓郎は、その「人生を語らず」の「越えて行けそれを」という歌詞に集約される人生メッセージ的なところに活路を見出し、それがフォークマニアだった岡村孝子に引き継がれ、さらにそれがZARDないし他に伝わってその先J-POPの定番になる応援ソングに至るのではないかということ。ここに源流があるのではないかと思ったのですよ、割と本気で。
あと、1985年のサザンのアルバムの時点でで桑田佳祐によって「終わった人」扱いされていた吉田拓郎ですが、今や過去の自分たちの再生産しかできなくなってしまったサザンに「サザンオールスターズの唄」を歌って差し上げられる中堅・若手バンド募集中。そうやっていかなくちゃいけないと、思いますよ。本当に。