23日はFat Wreckレーベル25周年フェスに行ってまいりました。
さすがにどストライク世代ではないとは言え、観られるもんならHi-STANDARDは観ておきたいバンドのひとつではありまして。でもAIR JAMのチケット争奪戦に参加するほど根性据わったモチベーションまではなく。
が、この11月に彼らが3年ぶりに3本のライブをやることを発表しました。BRAHMAN主催のフェス、今回行ったFAT WRECKレーベル25周年記念フェス、この後に札幌ZEPPの小規模イベントライブ。札幌はさすがに即完として、多分彼らを見たい方々はまずBRAHMANの方を狙うことは予想でき、とすると、FAT WRECKの方はもしかしたらこれほどたやすくHi-STANDARDが観られる機会は過去未来で他にないのではないかと予想したところ完全に的中、簡単にチケット取れ、かつ後方ではありましたがめちゃくちゃ快適に観られました。
こんな客入りで大丈夫かと一瞬心配になりましたが、この会場そもそも11/21-22はOZZFESTで使ってたセットの使い回しなのでおよそ問題なし。
90年代半ば頃、カバー曲収集を兼ねてSnuffやNOFXあたりを中心にFAT WRECK音源もちょろちょろ聴いてはいましたので、昼過ぎのSnuffからぼんやり観戦。ここまで続けざまにパンクバンド観る機会はこれまでなく、Snuffのこのノリ、欧米風な部分を日本風に変えたらニューロティカになるだろうなあとか、やっぱ若いのはラウド系の空気感も持ってて、おっさんはどこかアメリカンロック入っててとか、並べて聴くことでいろいろ気付きもあり、面白い。NOFXは、もうそりゃ出てきた当時「新世代」と絶賛されただけあると思わせる自由さで、無闇に楽しい。
ハイスタはやっぱすごかった。バンドマジックってこれだよ。3年ぶりに鳴らしてここまでガッチリ噛み合ってるなんて信じられない。メンバーもすごく気持ちよさそうで、来年新曲作るかみたいな話までしていて、やべえここにきてまた全盛期かよみたいな空気。
ただ、40過ぎてこんなパンク続きのイベント初体験した結果、俺もうこんなにたくさんパンクはいらないとも、正直思った。ハイスタは「40過ぎても全力でパンクでいられる」ところもすげえ才能なのだと思う。割と本気で。
で、1980年代後半、高校の頃後追いでオリジナル・パンクをざっと聴きしていた頃を思い返して考えるのが、パンクが手段なのか目的なのかということ。
オリジナル・パンクの時代、パンクというスタイルは明らかに手段だったわけです。パンクをきっかけに各ミュージシャンがパンクの外に音楽性を拡張していき、聴く方も、ピストルズもいいけどP.I.L.の方がかっこよくないかだとか、The Stranglersは「The Raven」以降の方がよくないかとか、全体的に聴いてみたらThe Clashは「London Calling」以降の方がいいじゃないかとか、The DamnedもいいけどCaptain Sensibleのソロの方が面白いなとか、いろいろ思った結果、そのまんまニューウィブに入り込んでしまうことになるのです。
結局オリジナル・パンクの各バンド、わかりやすい体で「パンク」であったのは80年代以前のほんの一時期で、それ以降のパンクではない音を模索するきっかけに過ぎなかったわけです。
一方90年代のパンクは、いろんな音楽が既にある中から「パンク」というジャンルを選んだ時点でそれはもう「目的」であり、たとえばGreen Dayは「パンク」の枠を拡張・多様化するという偉業を成し遂げたわけですが、それでもメロコアの隆盛以降にパンクを選んだバンドはそもそもパンクをやるためにそこにいるわけで、その後完全にパンクを逸脱した音楽性を会得したとかいうバンドは正味あまりおらず、いたとしてもパンクを逸脱してからデビュー、みたいな流れがほとんど。
90年代以降の世代の日本のパンクも、すべからくハイスタや10-FEETのようにパンクとしての強度を上げていくか、MONGOL800や最近ならWANIMAのようにパンクのままその意味を拡張・多様化していくような存在はいるものの、デビュー後にパンクから逸脱して「次」を模索したという事例は難波くんのULTRABRAINしか思い当たらず、かつそれはもう面白いくらいに行き詰って結局戻ってしまったり。
要するに今のパンクはひとつの最終的なスタイルになっているわけで、正味昔のオリジナル・パンクとは違うものなのだと改めて思った次第。
まあ、難波くんが戻ったおかげでそのおかげでまたハイスタ聴けるんだけど。
次回、このままこのノリと切り口でRideの話に続きます。