サニーデイ・サービス「Dance To You」のこと

サニーデイ・サービス / Dance To You (Album)

今から観念的なことを書くよ。普段は売り上げがどうだキャパがどうだ言ってても中高生の頃にロッキンオンとか読んでたおっさんは所詮こうなんだよ。

6月にCD3枚まとめてこういう文章を書きました。そして今回のサニーデイ聴いて「2016年の気分」のラスボスに出会ったような気持ちになったのです。

「ただの音楽」っていうのは、結局古今東西の様々なジャンルの音楽が聴き放題アプリの検索一発で全く同じように並ぶ世の中であれば、ひとつの「行き着く場所」ではあるわけで。
そうなってくるとあとは自分のセンスと才能をどこまで信じてどこまで突き詰めるかしかなくなります。その突き詰め方三者三様が6月の3枚のアルバムだと思っているのだけど、でも、今回のサニーデイのアルバムは「突き詰めすぎた結果突き抜けてどっか違うところに行っちゃった」感がすごくするのです。

歌詞は普段の曽我部さんのような日常の延長ではなく、もう普通の生活や思考と接点がほとんど見えなくなっている。音の構造は間違いなくこれまでの彼の音楽ではあるのに、連続性から切り離されてどこか別の場所で鳴っている感じ。

一番わかりやすいのはどれだろうと考えて「パンチドランク・ラブソング」。これだけアッパーなビートとメロディなのに全体的な空気感は完全に「閉じた」、もうここからどこにも行けないし、ここへもどこからも辿り着けない感じ。

この「どこにも行けなさ」は何に近いのだろうかと考えて出てきたのが、2014年の自分の年間ベスト10に挙げた「世界のきたの」。曽我部さんのROSE RECORDSからのリリース。
結局彼もこういう世界を知れず志向していたのかも、とも考えるのだけど、世界のきたのはバンドが出す音の構造からもう「どこに行かない」ことを前提にしていて、一方今回のサニーデイのアルバムはぱっと聴きの構造は普通にシティ・ポップスぽかったりネオアコぽかったりするのに、そうなってる。そしてもっと重たくて淀みも深い。

音楽ジャンル的なところではそれなりに振れ幅もあるはずなのに、全体をあまりにも一定な濃密な空気が横たわっていて、バラエティ感とか楽しむ余裕ない。ただひたすら曲の底に吐き出された「業」が横たわっているのを感じながら、綺麗な景色の合間からその何かとぐろ巻いてるのが見えちゃって「うわあ」ってなるんだけどでも目が離せないみたいな。

本当に素晴らしいのだけど、安易に電車の中で聴けない、ものすごい「重い」アルバムです。何て言うか「いい」とか「悪い」っていう言葉で括れないんですよこれ。

そして9月末、サニーデイとはまた異なる方向性ではあるものの、もう1枚の「2016年の気分」のラスボスがリリースされます。先行して出ている楽曲を聴いた時点でもうそれが確実な宇多田ヒカルのアルバム。座して待ちます。