11日は小林大吾の独演会を観に行きました。古書店の2階の本棚ずらしてできたスペースに40人。
仲間のふたりが夏の独演会に行ってヤラれたらしく、今回「お前も来い」ということで、呼ばれたら行くいつもの感じで行ってみたら、私もヤラれました。
歌うでもなくヒップホップまでも行かないところで言葉を音楽に乗せる界隈の人。彼の言葉は明確なストーリーなので「ポエトリー・リーディング」ではなく、単なる「リーディング」もしくは「スポークン・ワーズ」に相当するのだけど、でも何かそういうジャンルとも違うような気もする。ループ+ビートのトラックに乗せてストーリーを語る。書いたらそれだけなのにもう何かものすごい。ヒップホップ的なフロウを身にまとう時もあり、全体的に音楽としても聴いても大変なクオリティなのだけど、音楽以前に「己の表現を他人に伝える手段」としての強度がハンパない。

ふと、80年代に坂本龍一のラジオ経由でデビューしたポエトリー・リーディング・ユニットのボーイ・ミーツ・ガールを思い出したのだけど、小林大吾はポエムじゃない分ストーリーの密度は高く、さらにヒップホップ的なフロウでもって言葉をトラックに寄り添わせていくため、まるで違う表現として聴こえてくる。

彼は時々海外を舞台にしたストーリーを語り、それはもうO・ヘンリーのようなんだけど、それでもう一人思い出したのはアメリカのSSWのStan Ridgway。80年代半ば、Wall Of Voodoo脱退後にIRSレーベルから出たソロ・アルバムが何故かイギリスでちょっと受けた人で、彼はメロディには乗せているものの詞が完全に短編小説で、「ベトナム戦争の戦地で窮地に陥った際に助けてくれた大きな海兵が実は死んだ兵士の幽霊だった」とか「タクシー運転手が女性を乗せたら強盗で、彼女に脅され走りながらそのまま一緒に海外に逃げてバカンスを過ごすことを夢想する」とか、そういう感じのストーリー。でも昨日は、日本語で目の前で明確に語られる分、こちらの想像力への訴えかけ方が違うもんで。

その「想像力への訴えかけ方」は何に一番近いのだろうかと考えたら、めちゃめちゃうまい人の落語だと思った。

今日、テレビで自分の書いた書を3Dプリンタで出力して空中にテグスでぶら下げて絵が描かれた壁に光を当てて書を投射する、みたいな表現を紹介していて、正味それはよくわかんなかったんだけど、新しいテクノロジー新しい組み合わせ新しいアイデア。まだまだ新しい音楽新しい表現はこの先出てくるわけで、それを目の当たりにしてたまに昨日みたいに度胆抜かれたりするのですよ。
昔の音楽はよかったとか言って終わってる場合じゃねえ。