現在ではAKBグループとEXILE TRIBEが典型的な例ですが、過去からいくつか例のある「親玉格としてのグループがあり、そのグループの強力なブランドをベースにしてソロやら別グループやらを次々に世に出す形でビジネスとしての規模を拡大していく」というモデル、ぼんやりこれの元祖って何だっただろうと考えてみたら、アリスのメンバーがグループ維持しつつソロでもやるとか、テレビはたのきんトリオとして束で出させて歌はバラとか、西城秀樹の妹分募集で河合奈保子石川秀美デビューとかいうレベルまではあったんだけど、明確に「親玉グループのブランド力」を意識して初めて大規模に仕掛けられたのは横浜銀蝿「銀蠅一家」だったのではないか説。

1980:TCR横浜銀蝿RSがデビュー。
1981:嶋大輔がデビュー。(「銀蠅一家」として初のデビュー)
1982:TCR横浜銀蝿RSのJohnnyがソロデビュー。
1982:紅麗威甦がデビュー。
1982:麗灑がデビュー。(初の女性歌手)
1982:紅麗威甦の杉本哲太がソロデビュー。
1983:岩井小百合がデビュー。(横浜銀蝿のマスコットガール・妹分)
1983:森一馬が俳優デビュー。(翌年、レコードデビュー)
1983:企画ユニット「嶋大輔、杉本哲太+1」レコードリリース。
1983:「嶋大輔、杉本哲太+1」に参加していた矢吹薫がソロデビュー。
1983:紅麗威甦の桃太郎がソロデビュー。
1983:TCR横浜銀蝿RSが解散。
1984杉本哲太が紅麗威甦が脱退し解散。
1984:紅麗威甦の残り+追加メンバーでBLACK STANとしてデビュー。
1984:ROSEY ROLLYがデビュー
1984:ユタカがデビュー
1985:WALTHERがデビュー。

拡大から衰退まで追えたところでおよそこんな感じ。「刑事ヨロシク」出身子供ヤンキーのミッキーもそうだと思ってたんだけど、銀蝿一家はユタカプロダクション所属であることが原則で、彼は違うようなので除外。

言うても横浜銀蝿本体は1983年いっぱいで一旦解散してるし、その翌年には紅麗威甦も分裂する形で解散、嶋大輔も1984年には急速に勢いを失い、岩井小百合は1983年に武道館コンサートを開催するものの満員にできずに翌年ドラマのためにポニーテールをばっさり切ったあたりから徐々に下り坂と、1984年頃には全体的に失速していますので、勢いがあったのは実質3年、それ以降はその残った看板で何とか食っていこうとする苦闘の跡ばかりが目に付くのですが、それでもバンドありソロ歌手あり、バンドからのソロ活動あり、女性もいて企画ユニットもいるという、その後こういうスタイルでビジネスを回していこうとした事務所がやっていることをだいたい全部やっている。
「嶋大輔、杉本哲太+1」の「+1」だった矢吹薫の例は、これ要するに今や世界中で行われている、若手をフックアップするために有名どころと組ませる「featuring」形式の相当に早い事例であったりもするわけで。ユタカプロダクションは、スカウト等で若い子を連れてきては研修生としてレッスンさせて次のデビューに備えさせるみたいなことまでやっていたようですし、何かいちいち冴えている。

ユタカプロダクション社長の大坂氏は2003年に逝去し、プロダクションとしての遍歴もネットで検索した限りではほとんどその跡形は残っていないのですが、先見の明ありすぎだと思いました。なのでそういう話で行けば、「おニャン子ハロプロもAKBもEXILEも全部横浜銀蝿の多大な影響の下」にいるとも言えるわけで、明日友達にその話をするともれなく怪訝な顔をするのでやってみるといいと思う。