May J.を叩いてた人は今どういう気持ちなんだろうか。
結局、稼働できない片方がいる中でひとり「アナ雪ブーム」を支え続けたということになるわけですが。やっぱ下衆の勘繰りはいかんわけですよ。私がそう言っていいのかどうかは知りません。
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道重さゆみは本当に「アイドル」であり続けたと思うわけです。
とてつもなく不器用で、でもグループやファンへの愛着は桁外れ。それが故の行動のために一時は同性からのバッシングにもなったりしたけれど、結果として心からの愛をもって送り出されていきました。卒業公演、びっくりするくらいチケット取れなかったけれど、それでもういいんです。
その「不器用さ」というのは、愛されるアイドルのキーになりうるものであり。
見た目のみでなく、女の子たちが今ステージに立っている、そこに至るまでのストーリーがファンを強く引き付けるのだ、というのはもうアイドル多少でも見てきた人には当たり前のことですが、そのストーリーを毎週全国放送していた初期のモーニング娘。から始まり、その後のAKB、Perfume、ももクロあたりは、その「不器用だけど一生懸命」なストーリーの紡ぎ方が非常に卓越していたからこそ固定ファンをがっちり捉えることができ、そこを土台にしての今のポジションであるとも言えます。
いきなり完成形を提示すべくデビュー時点での垂直立ち上げを行おうと大資本を投下し、その投下っぷりまでもプロモーションに使うようなアイドルは過去より、セイントフォー、少女隊、初期dreamと、惨々たる歴史を辿ります。というかそういう失敗例があったからこそ今のような「ファンと一緒に成長していく」スタイルが一般化したとも言えます。
それでもそもそも、「アイドル」という選択肢を選んだ時点でその女の子は不器用であるとも言えなくはないのですが。
器量がよく、それを自覚してる女の子がいたとして、その子が人より器用に立ち回ることができるのであれば、その器量をマネタイズする手段として「アイドル」なんてリスクの高い選択よりも、もっと確実な選択肢があるわけですから。
だから、アイドルである時点でもうみんなOK、という雑な承認をしたい気持ちにも少しなったりするのです。
逆に「器用に立ち回る」の最高峰が、私は民放女子アナだと思っています。単に器量をマネタイズするだけならいつか期限が参ります。だったらその期限が来る前にきっちりその知名度とブランドでもって選択肢を広げたうえで、期限後の人生設計までを決めてしまおうという。日本テレビの内定取り消しの女の子なんかそりゃ必死ですよ。職業選択どうこうのレベルじゃない、老後に至るまでの人生設計の話ですからこれ。
で、結局のところ何が言いたいかというと、キー局の女子アナになり、相当な人気者になったにも関わらず、のほほんと同期入社と結婚したフジの生野陽子の見た目以上のあんまりな計算してなさっぷりが、最高に胸を打つということです。