前田敦子が挑んだ異例の「ミュージック・シネマ」――映画女優路線を進む彼女の野望とは?

正月に実家帰って夜中に弟とダラダラ話してて、さんざっぱら映画ばっか観てる奴なんだけど、『もらとりあむタマ子』を絶賛してたんですよ。撮り手演じ手双方が「アイドル」を少しでも意識してたらあんな映画はとてもできないと。

僕はAKB48前田敦子は「盾」だと思っていました。デビューして売れ始め、その分批判の声も大きくなり、身内なはずのAKB48ファンの一部からですらブーイング食らって。当然AKBグループにいる女の子たちはみんな、相当な覚悟でいるであろうことは容易に想像がつきますが、そんな状況下でセンターに立ち続け、矢面に立ち続け、「顔」として歪みを全部受け止める。それができたのは多分本当に彼女しかいなかったんじゃないかなと思います。そうしてグループとして登り詰め、安定した感のある頃に、降りた。そういうことじゃないかと想像します。
それが「ウィル・スミスや健さんと一緒に芝居をしても全く動じず、淡々と自分の芝居をするんだろうなー」と言われるような今の状況に連なっていると。

しかし、やっぱりわからないのが観もしないでAKBだから云々と貶してる人たち。
そういうの見るといつも思い出すのが「CROSSBEAT」誌創刊初年のリーダーズ・ポール。うっかり「ワースト・ライブ」とかそっちの方向の投票まで受け付けちゃったもんですから、さあ大変。まだ「ロックかっこいい」「ポップスダサい」的一元論な人たちも今以上に元気だったため、当時売れていたDead Or AliveやらBROSやらがすごい勢いでワーストの上位を占めるわけです。
さて、「ワースト・ライブ」に彼らを挙げた人のうち、実際に観て酷いと思って投票したのは何人いたでしょうって話ですよ。
当然ですが翌年からは「ワースト」の項目はきれいになくなっていました。

中には、メディアの向こうの人やグループを何でそこまで本気出して憎むことができるのだろうと不思議に思うレベルの人もいたりして。そのパワーもったいない。何かどっかに貯めておいて、エネルギーとして有効活用できないものか。