映画「アメリカン・ユートピア」のこと

金曜日の晩、ようやくデヴィッド・バーンの「アメリカン・ユートピア」を観てまいりました。
珍しくムビチケですけど前売りまで買っていたのが、いろいろ予定や気分が合わずにいたところを、仲間がSNSで「観た!」「観た!」と言うのを見て自分も気合いを入れて半休取って、「AMERICAN UTOPIA」のアルバム聴きなおして「STOP MAKING SENSE」のDVDを見返して、万全の気分で乗り込んだわけですが。

正直もっと映画専用に演出されているものとばかり思っていたのですが、これ普通にコンサートフィルムじゃないですか。カメラ位置とか実際いろいろ普通ではないのですが、ぼさっと見る限りでは。
でもだからこそライブ観てる気持ちになれるというか、これ実際生で観たら割と死ねるレベルのエゲツないライブですね。映像だから何とか正気を保っていられましたが。
演者のマーチングバンド的な動き自体はよく見れば雑なところもあるわけですが、そこはそれ専門ではないのでそんなに求めちゃいけないわけで、でも照明演出でキメを作ったり、ダンサーの2名がきっちり場にハメに行ったりするおかげで全体的な印象に一切雑さがないのが素敵。すごい計算ずくなのでしょうが、でもすごい。

で、直前に「STOP MAKING SENSE」を予習だか復習だかわかんないけど見ていたこともあり、またクレジットの「Special Thanks」にJonathan Demmeの名前があったこともあり、やっぱり比べてしまうのですけど、冒頭からの人物の増えっぷりは「STOP MAKING SENSE」の流れと近しいのですが、パフォーマンスが乗る「場」の作りについてはむしろ逆のタイムラインになっているのは、これ意図的なのかどうなのか。

この「アメリカン・ユートピア」は、無線の音質や精度の向上とか、高性能なイヤモニとか、照明用のセンサーとか、そういう1980年代にはなかった技術によってはじめて成立しうる世界であり、単純にどこまで比較すべきかどうかすらわからんのですけど、まあそういう考え方で面白がるのもアリということで。言うても映画ですから。

あとは自分のSNS、ほぼリアル友人限定の方ではすごい勢いで「観た!」「2回目観た!」という報告が上がってきて、そこだけだと「鬼滅の刃」並みの大ヒット映画に見えるのはやはり何とかしたほうがいいとは思うものの、でも自分がそういうソサエティの人間であることは否定のしようもなく、甘んじて受け入れる次第。

そういう友人と飲んでる時にやるネタで「海外のミュージシャン、日本で例えると誰?」というのが割と盛り上がるのですが、この映画のデヴィッド・バーンについて友人の一人曰く「似ているかどうかはわからないけど、日本でこれに近しいことができるのは、30年後の星野源くらい」という意見には割と賛成です。

もうしばらくして、世間が落ち着いてまた大人数で酒盛りができるようになった暁には、立川かどっかで改めて「極音上映」をしていただき、それにSNSの仲間まとめて馳せ参じ、観終わった足でWINS周辺の居酒屋あたりにかち込んでそういう生産性の低い話ばかりをしたいものです。
実際本来はそういうのに最も適した映画だと思うんですよ、これ。