音楽ナタリーに「“東京”はどのように歌われてきたのか 」というのを書きました。
(前編)現在のJ-POPに至る“ネガな東京”はこのとき誕生した
(後編)東京出身ミュージシャンにとっての東京と、地方出身ミュージシャンにとっての東京
いや、今回は本当にしんどかった。過去と比較にならないくらい。
それは明確に理由があって、「TSUTAYA」にしろ「桜」にしろ、過去に媒体に書いた文章はおよそこのサイト等で触れていたものだったのですが、今回は一切それがないところから着手したので。
過去からの流れをきちんと流れとして捉えるためには、どうしてもある程度まとまった数の「点」を収集してマッピングしていく必要がありますが、そのマッピングまではだいたい完成しているところから文章書くのと、1から点を打ち始めるのと、そりゃ違います。
一応、「東京節」の存在とか、ムード歌謡による「ご当地」化くらいは把握していたのですが、今回調査して自分でもようやく点と点が線で繋がった気がする、というレベルで。
ので、相当な時間をいただいて臨みましたが、それでもキツい。「東京」「TOKYO」がタイトルに付いた曲だけでなく、はっぴいえんど等から連なる、空気感としての「都市」感を持つシティポップ系の系譜も触れるべきとは思ったのですが、前半の全体の流れを作った時点でそこらへんの代表曲ざっと確認して大勢に影響なしと判断してカットしました。
で、多分、前編と後編の感触が随分違うことに気付かれた方も多いと思います。
本当は全編を前編のような時系列に沿った形で進めるつもりで調査を始めたのですが、調査の結果として時系列に沿おうとすれば「J-POP以降は多少ネガが増えてその後減ったこと以外、『多様化』しっぱなし」ということくらいしか言えないことに気付いて頭を抱えた結果、前半は時系列で、後半はもう完全に構成を変えることにした次第です。
後編の選曲については、前編リリースの時点で一部で当てっこみたいな状況が勃発していて、非常にドキドキしたのですが、こういう感じになりました。
特に後半のっけからの5発については、相当に熟慮を重ねた結果ですが、選抜基準は「後の楽曲のひな型として挙げられるか」のみなので、いろいろ自分が好きな楽曲もバサバサ切りました。
椎名林檎の「歌舞伎町の女王」は独特のフィクションとして完成されすぎていて、またチャットモンチーの「東京ハチミツオーケストラ」は、上京の時点で「覚醒」というか「覚悟」というか、後続の楽曲には全くない特異な視点があり、他と比較のしようのない異質な曲だったため、好きですが入れられませんでした。
でもしんどかった分、今まで自分が気付いてなかった視点とかも新たに手に入れられましたので、やってよかったと思っております。
正味、いただける原稿料とかけた時間を考えると全く割に合わないのですが、そこは逆にサラリーマン兼業だからこそできることであり、でも自分みたいのがいるから価格的に専業ライターさんが困るということもあるのかなと思うと、ごめんなさい。
できるだけこういう感じのニッチなところにしか出張らないようにしますので、許してください。