ナタリーの「“応援ソング”のルーツと変遷を探る」の補足とかのこと

@JAM EXPOの話をしようと思っていたのですが、公開されたのでこっちの件を先に。再び音楽ナタリーで原稿書かせてもらいました。

“応援ソング”のルーツと変遷を探る

桜ソングの時はブログでもある程度情報固めていましたし、言うても歌詞やタイトルをキーにして範囲を具体的にすることができたのですが、今回はアイデアとしては持っていたものの趣味での事前調査も断片的で、かつそこまで具体的なキーで拾えないものも多く、正直なところ非常に難儀しましたが何とか形にしてみました、という感じです。

原稿に組み上げる前のメモには他にもいろいろ書いていたので、そこらへんを多少補足的に。

前回に音楽ナタリーで「桜ソング」について書いた時には、1970年代から10年単位で切る形にして、今回もそれで行こうと思っていたのですが早々で断念。時代の流れというよりはきっかけとなる曲があって、それによって動いている感じだったため、各章でキーとなり得る曲を挙げる形で進めることにしました。

その「キーとなり得る曲」も相当挙げたのですが、結果として原稿内に反映しなかったのが以下のような楽曲。

水前寺清子「365歩のマーチ」
ザ・フォーク・クルセダーズ「青年は荒野を目指す」
青い三角定規「太陽がくれた季節」
THE STAR CLUB「Hello,New Punks」
渡辺美里「My Revolution」
永井真理子「ミラクルガール」
爆風スランプ「Runner」
槇原敬之「どんなときも。」
SUPER BUTTER DOG「サヨナラCOLOR」

正直、どの曲をキーとして置くか、というところも1987年の2曲とオリンピックのテーマソング以外は言い様によってはどうとでもなりそうではあったのですが、いくつかこういう「点」を挙げたうえで、自分の中で一番妥当と判断したところに落とし込んだ次第。

で、時代で流れを追おうとしていた時、各年のヒット曲から応援ソングを拾っていたのですが、1987年以降完全に市民権を得た応援ソングがヒット曲の中に相当数見受けられるようになります。

1989:Runner / 爆風スランプ
1989:Diamonds / PRINCESS PRINCESS
1990:夢を信じて / 徳永英明
1990:愛は勝つ / KAN
1991:それが大事 / 大事MANブラザーズバンド
1991:PIECE OF MY WISH / 今井美樹
1981:どんなときも。/ 槇原敬之
1993:負けないで / ZARD
1994:がんばりましょう / SMAP
1995:TOMORROW / 岡本真夜
1995:ガッツだぜ!! / ウルフルズ

しかしこの流れが1995年以降、数はそれなりにありますがこと年間トップ100レベルのヒット曲に限ると、応援ソング比率が相当落ちているんです。これ何かと思って調べてみても確とした裏付けが取れなかったので本編からは外したのですが、正直小室プロデュースの曲ばっかりヒットしたせいじゃないのと思ってます。
小室プロデュース楽曲って思っていた以上に応援ソングが少ないんですよ。小室哲哉作詞曲で明確にそうと言えるのは、確認できた限りではH Jungle with t「WOW WAR TONIGHT」と安室奈美恵の「Chase the Chance」くらい。hitomiの楽曲は多少応援度高めですが、それはhitomi自身が作詞に噛んでいるためで。その流れで小室プロデュースを離れて「LOVE2000」を出すわけです。

あと、死ぬほど調べたけど結局「時代の流れ」としては可視化できなかったのが「世界で一つだけの花」以降の「ありのまま」型応援ソングの流行。2003年以降で同曲と近しい構造を持っていると判断できたヒット曲はAqua Timez「虹」と竹原ピストル「よー、そこの若いの」だけでした。

そういう感じでこの原稿のようになったわけですが、何とかして入れられないかと思って努力したものの諦めたのが、槇原敬之の変遷。
1990年の「どんなときも。」では「絶対ゆずれない夢」に向かって「迷い探し続ける日々」だったのが、1992年の「遠く遠く」では「力いっぱい輝ける日」のために努力はしていても「いつでも帰ってくればいい」と言われて笑顔になり、それが2002年に「世界に一つだけの花」になる。
1992年から2002年の間の歌詞については改めて見てはいませんが、彼のタイムラインと精神的な変化が結構リンクしているのではないかと思っていたり。
ただ、そこにぶっ込んでいくとそれだけで長文になり、本編置いてけぼりになりそうな気がして断念しました。

暇なときに調べてみる。たぶん。