「桜ソング」についてのコラムのおまけ的なこと

音楽ナタリーで「桜ソング」についてのコラムを書きました。

“桜ソング”の栄枯盛衰 ~2000年代の爆発的なブームはなぜ起こったのか~

これまで「桜ソング」についてはリリースしたものを挙げていただけだったので、今回は自分の中でもいろいろ点と点が線で繋がる感があって大変に良い機会でした。当初より話がでかくなって大変ではあったのですが。

以下、原稿書きながら、使わなかったり余計に思ったりしたこといくつか。

  • 音楽だってインディーズ等のごく一部を除けばビジネスとして回しているわけですから、こういう「使える」モチーフを使って少しでも売れるといいな、という行動はむしろ自然なこと。実際名曲もたくさん出ていますし。ただ本当に雑な企画の季節ソングでデビューして着うたが去った時点できれいにいなくなったような人まで、無闇に数が群がってしまったことが「桜ソング」の不幸だったなあ、と。
  • 70年代に多くの作詞家さんが続々季節ネタを取り上げ始める中、恐ろしいほどの数の歌詞を量産しているにもかかわらず、まったくと言っていいほどそっちに行かなかったのが阿久悠先生。オリジナルなモチーフで独特の世界を作り上げることにかけては本当に天才的でしたから、すごく納得度高い。
  • ユーミンの歌詞は、情景を印象的に描写しつつ少し季節感を加えることで本当にその景色が頭の中で像になる、すごく絵画的な歌詞の作り方をしているなあと今回改めて。でも「卒業写真」は、卒業して随分経ってからアルバムを見返していろいろ思う歌なので、卒業ソングかもしれないけど春の歌じゃない。
  • スピッツは植物の他にも虫とか動物がモチーフというか歌詞の発想のキーワードになっている曲が異常に多いですが、独特の存在感のファクターのひとつはそういうところかもしれないなあ、と思いました。ユーミン(特に初期)が様々な風景を歌詞の媒介にしているのと対にして語れるかもしれない。
  • レミオロメンは「3月9日」が有名になりすぎて、ベスト盤に収録されて先行配信もされた「Sakura」というそのままズバリの曲も、いい曲なのにあんまり広まらない。
  • 松田聖子の「チェリーブラッサム」は、タイトルこそ桜なんですが、歌詞で「春」を表すワードは「つばめ」くらいしかなく、歌詞全編に込められた「新しい始まりへの期待」のニュアンスをタイトルに託しているのだと、今回ようやく気付きました。つうかこれ取りようによっちゃウェディング・ソングですね。
  • 「卒業」ソングとして有名な「贈る言葉」は、金八先生の主題歌だったこともあってそういうイメージが強いですが、歌詞読んでみると季節感はまったくないし、何となれば「女性と別れるにあたって何かええこと言ってみるが最後まで聞いてもらえなかった男」の歌としても捉えられます。実際武田鉄矢自身「失恋ソング」だと語ったこともあるようです。
  • 同じく長渕の「乾杯」にも季節感のある歌詞はなく、1番は何となく卒業っぽい雰囲気で、2番は何となく結婚っぽい雰囲気で、そして結果としてどちらにもアジャストしてしまった、高性能ハイブリッド型お祝いソング。