チャットモンチー@日本武道館のライブのこと

7月4日、チャットモンチーのラストワンマン@日本武道館。トリビュートアルバム前の超先行でチケットゲットしていた先輩のご相伴にあずかり、無事入場。

中盤のMCで2人が「今までになったことのない気持ち」と言っていましたが、そりゃこっちもだ。
ラストライブという代物、他のバンドのもいくつか観ているはずですが、彼女たちは志半ばで折れたわけではなくきちんと「完結」させるわけで、そういう悲壮感は皆無。オープニングから立て続けにラストアルバムの曲をやるのも普通のレコ発ライブみたいだし、さらに途中で6人編成のストリングス、名付けて「チャットモンチー・アンサンブル」が登場、ここまで来てまだ新機軸をぶち込んでくるポジティブさ。
そのストリングスとやる曲も概ねラストワンマンらしからぬアルバム楽曲ばかりで、シングル曲にはあんまり触らない。きっとそっちよりもストリングスに合う曲という方針だったのだろうな。それもすごく「普通の」ライブの思考であり、ラストライブでやることじゃない普通。

そんな、まったくもってラストライブっぽくない進行と、それでもみんな知っている「これが最後のワンマン」という空気感。それがないまぜになって、全編通してドカンと盛り上がるでもないのに場の空気はやたらミチミチしている。
楽しさ、嬉しさ、寂しさ、悲しさ。何ていうか、他のライブと比べて圧倒的に感情の情報量が多すぎて自分でも処理できないまま、ハイスタの恒さんを迎えて最後は3ピースの音できっちり場を作っていくのだけど、もうその頃にはそれまでの情報量でフリーズしたような状態でそれを眺める。

そしてアンコールの最後の最後、MCでそろそろ涙を流し始めた2人が「サラバ青春」をあっこちゃんのピアノとえっちゃんの歌で奏ではじめたとき、ようやく「これで終わるんだ」ということに気付く。そして終わる。
でも、ファーストミニアルバム収録の、久美子さん作詞の曲がここに来たことに意味はあると思っている。そういうことなんですよ。

終演後、先輩と一緒に中華食いながら話していたのですが、「ステージのセット、墓標みたいじゃなかったか」という言葉にふっといろいろ考える。「CHATMONCHY」と書かれた巨大プレート。見たことのないセット組み。ステージ下に大小の箱の装飾。終演後に映し出された「CHATMONCHY is FOREVER」の文字。自分らでFOREVERって言ったの、X JAPANとJOY DIVISIONと、チャットは3番目だなとか思っていましたが、それらが全てひとつの意味を持っているのだとすれば、そうなのかもしれない。
あのライブは、ラストアルバムで初めてやったことも、このライブで初めてやることも、これまでやってきたことも、CHATMONCHYという名も、ここに葬り去るのだという、そういう作業だったとすると、何となくあの流れにも合点がいくのです。

ということはだ。
7/21-22のこなそんフェスは、新盆に近い時期でもあります、そういう意味での里帰りですよ。そこでお祭り騒ぎをする。死霊の盆踊りですよ。だから、いろいろ蘇ると思うんです、こなそんフェス。
敢えて2日間の彼女たちのプログラムを想像すると、過去に遡っていくような気がするのです。葬られたのでもう時間軸関係ないから。やっぱり1日目は「誕生」の楽曲をやり、男陣・乙女団の怒涛の盛り上がりで1日目終了。2日目は「変身」期の曲から入り、そして後半は満を持して、という感じの。そして始まった徳島で(プロとして)始まった形で終わらせる。
そうなったらいいなあ。という気持ちで。

武道館観てから、そういうこと考えて無性にこなそん行きたくなってきましたが、もうそればっかりは。速報ネットで仕入れつつ、9月のスペシャを待ちます。武道館入れただけでもありがたいと思わなければ罰が当たります。そう思います。

セットリストあった。