映画「君の名は。」のこと

台湾行ってきました。
行ってからの件は次回以降、今日は機内でようやく「君の名は。」を観ることができたのでそっち。

ざっくりと若者たちには大人気、でも映画をよく知っている年配者にはあまり受けがよくない、という状況をそれなりに把握しながらの視聴でしたが、そうなることが最終的にはすげえよくわかった気になりました。

端的に言ってしまえば、モスキート音のような映画だと思ったんです。

正直、始めのうちはフィクションとはいえあまりに共鳴できるポイントが少なすぎ、気持ちとしては半ば俯瞰するように画面を眺めておりました。でもそうやって観ているうちに、ああ、ダメなのは映画ではなくこっちのせいだ、「恋愛に対して本気で夢を持てる人」にとってのこの物語は、途轍もなく素敵なファンタジーたりえるのではないか、そして自分にとってはもう決してそうならないのだ、と思うに至りました。

私はおっさん&バツイチでありまして、まだ完全にこれからを諦めたわけではありませんが一度ずっこけていることもありまして、恋愛沙汰についてはそれなりに現実を考えたり打算的になったり、諸々の事情を折り込みながらということを前提にしなければいけないお年頃なわけです。

たとえば作中、少しだけネタバレですが「目の前に存在していて恋愛感情を持っていたこともある、関係性として今もまんざらではなさげな女性が一緒についてきてくれる中、本当に好きかどうかも会えるかどうかもわからない女性を探しに行く」っていうのが象徴的なところだと思うのです。
先輩は完全に三葉との対比としてリアルを伴って置かれている存在であり、もうそれ、現実的な判断で考えたらありえないじゃないですか。それなりの落としどころがあるのに何でそっち行くんだと。

でもそういう状況を「ありえない」と思うような、散々生きて男女関係に打算や損得等の合理性をある程度でも見出してしまった人間には、この作品のコアは恐らくその後も一生わかんないと思うのです。実際ここまで書いてきて作品として個人的に純粋にどうよと問われれば「まあよかったかなあ」ぐらいですし、熱狂的に支持している若い子たちの気持ちなんてもう金輪際わからんのですよ。悲しいことに。

これまでの蓄積も多くなく、今後何が起こるかどういう体験をするかもわからない状態で、ただこの先への闇雲な理想を持った自分・自分たちを、このひたすらファンタジックで、でも気持ちの機微だけは何だかリアルなストーリーと重ね合わせる。それは、できる人にとっては多分とんでもなく素敵な体験だろうなと。想像するだけですがとても羨ましく感じます。

おっさんでこの作品を絶賛できる方は、まだ恋愛に対して夢を持ち続けられているか、映画に対していわば神の目のようなものを持っているのではないかと。それも羨ましい。

とりあえずこの映画を語る際に「小林聡美」とか「原田知世」というワードが出てきたおっさんの大半は本質わからないと思うので、おとなしくこっちに来てください。同志です。


あと、RADWIMPSの曲が馬鹿売れするのもわかった。あんな絶妙なタイミングで映像が完全に曲を生かした形になって怒涛のように流れるんだからそりゃ心に来ますわ。
正直RADWIMPSは「アルトコロニーの定理」あたりがピークで、あとはそこまでに捕まえたファンを相手にしながら細く長くやっていくのだろうと思っていたら、ここに来てこんなことに。

昨年の星野源は、もうドラマの主題歌なんぞそれで馬鹿売れすることはもうないだろうよ、という現状を覆してきましたが、どこでどういうバズり方をして売れるのか正直もう全くわからん。少なくともここまでの経験値ベースで想像してわかったような気になっていたら、死ぬ。