Johnny Foreigner@o-nestのライブのこと

昨日も東京ドームではなく、そこから南西へ約6kmの渋谷、o-nestでJohnny Foreignerの来日公演。
UKのバンドなのにUS馬鹿オルタナの系譜を色濃く継ぎ、ニューアルバムのタイトルは日本語から来ているものの、Death Cab For Cutieの最新アルバムのそれと比べると随分とざっくりしすぎていて、もう何か絶対嫌いになれないバンド。

200人入ればいっぱいのo-nestなんだけど、左右端の一段高くなっているところは封鎖されていてそれでも後方余裕がある、要するに100人程度の入りで、わざわざやってきてくれたのに申し訳ないっていうかこれ絶対赤字だよねっていうかそもそもいっぱいになったところで利益どれだけ見込んでいたんだというか、いろいろネガな思いがぐるぐるしてはいたのですが、いざ始まると日本全国から選りすぐられた100人だけあってすごい勢いでシンガロングの大盛り上がり。
メンバーも大層楽しそうで、ちょくちょくフロアに降りてきて、マイクを通さず生声で歌ってみたり、マイクスタンドごと降りてきたり、フロア中を駆け回ったりと大暴れ。大変に楽しいライブになりました。よかった。

「US馬鹿オルタナ」というのは私が便宜上勝手に括ったジャンルなのですが、正味元々USオルタナっていうのはおよそ馬鹿だったわけで。Jane's Addictionのノリや見た目とか、Dinosaur Jr.の変なリフとか、Pixiesの存在そのものとか。レッチリとかFlaming Lipsなんかも初期は力いっぱい馬鹿だったわけですし。
ところが90年代初頭にドカ売れしたのがNirvanaとかPearl Jam等のトータルな佇まいとして「マジ」な感じの音だったため、それ以降のポスト的なバンド含めて所謂「グランジ」勢が、矛盾してますが「オルタナのメインストリーム」的な音になっていくわけです。

とはいえやっぱり馬鹿は次々と現れるわけで、馬鹿オルタナは今も脈々とオルタナ界に生き続けています。
グランジ全盛期にセルフタイトルのアルバムをリリースし、そのリードシングルが「着脱可能ちんこ」の歌だったKing Missile、重戦車のような音の割に時折すこんと抜けた馬鹿っぷりを発揮していたMcLusky、マジと馬鹿を行ったり来たりしているCloud Nothings等、間違いなく第一線ではないものの、はみ出たものを隠し切れずに無闇なオリジナリティを発揮しまくっているそんな愛すべきバンドの流れのその今を担う一翼として彼らはとても大切なのです。私にとっては。