歌詞の意味と「応援ソング」のこと

中川いさみ マンガ家再入門【第17話】 鴻上尚史、再び登場! 「創作がガラッと変わった95年という年」

自分は大学時代劇団に所属していたのですが、卒業して1994年就職のために上京して以降2000年過ぎまで演劇断ちをしていたため(観たら会社辞めて芝居やりたくなるから)、この切り替わりの時期の空気がよくわかりません。
が、学生時分関西の三大劇団といえば「新感線」「そとばこまち」「南河内万歳一座」だったのですが、私の上京以降その中で新感線が急激に伸びた感があったり、他の2劇団を差し置いて惑星ピスタチオが頭角を表したりしたのは、その圧倒的なわかりやすさと視覚的な部分に訴える演出なんだろうと思うのですが、それはこの鴻上尚史氏の指摘に沿ったものではないかなあ、と思います。

で、「じゃあ、日本の音楽はどうなんだろう」と考えてみたのですが、そもそも1995年当時、少なくともオーバーグランドの大衆音楽シーンにはまだ「不条理」を受け入れるだけの素地はなかったので、単純な比較は難しく。

2002年(5/29)にサイトで以下のようなことを書きました。全文再掲。

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松浦亜弥の新曲「Yeah! めっちゃホリデイ」、凄いことになってます。

自分が何かの弾みで「生涯のベスト10曲」みたいなのを考えなくてはいけないとすれば、必ず入るはずなのが森高千里の「勉強の歌」なんですね。これは奇跡の曲なんです、自分的に。

通常、ミュージシャンは自分名義で発表する音源に対しては、何らかの「意味」を持たせようとするわけです。歌詞然り、曲の構成然り。ビートルズっぽいフレーズを入れてみたりするのも「わかってよね」みたいなリスナーへのメッセージだったりするわけで。
アイドルみたいな歌唄いも、「自分で作詞作曲しました」とか「親が離婚して不幸だったんです」とか、必死こいて自らのアーティスト性を認めさせるべくメッセージを伝えようとしてるわけで。音楽で飯を食ってる人間が、ほぼすべからくそっちの方向に力を入れてることは間違いのないことです。

でも、その力を思い切り逆に振り切るとどうなるのか。つまり「どこまで意味を持たせずにいけるのか」というベクトルも理論上ありえますよね。
実際、元ナゴムレーベルの面々とかはけっこうその部分に切り込んでいってたりしたわけで。でも有頂天が「僕らはみんな意味がない」と歌ったところで、そこには「アンチメッセージ」とか「ノンポリシー」とかいう形で「意味」が乗っかってきて、結局はうまくいかなかった。

あと、初期のThe ピーズとかカステラとかもかなりそっち方向に向かっていたのですが、「パンク」という手段を使った時点でもう限界が見えていたりして。

で、自分が知る限り「意味のなさ」を極限まで突き詰めていたのが、'89年〜'91年の森高。アルバム「非実力派宣言」ですべての批判に「無効」を突き付けた上でやりたい放題。
彼女の場合、自分で歌詞を書いていたことはいたのですが、そのあまりにもな「何も無さ」のせいで、それが彼女の「アーティスト性」を押し上げる効果は皆無。さらに、「アイドルを演じるアイドル」という反則気味な立ち位置で、ブリブリの衣装にユーロビート。結果として、音がどれだけやかましく鳴っていようともそこには何もない、という奇跡のような状態が生じたわけです。

しかし'92年以降、作詞に本格的に取り組み始めたため、彼女の歌詞に「意味」が生まれ、'93年のアルバムで自らドラムを叩き、高校時代に出演していたというライブハウスの名前をアルバムタイトルに選んだ時点で、奇跡は終焉を迎えました。

それ以降、そんな「ゼロ」に立ち向かう猛者は現れていなかったのですが、21世紀、ついに新たな奇跡が現れました。
松浦亜弥です。

そもそもサイボーグかと思うくらいの「作られたアイドル」臭を放ちまくっている時点で、かなり奇跡に近い存在だったのは事実。ただ、これまでの曲の歌詞はストーリー仕立てだったり甘い恋愛だったりして、どこかに「伝えるべきもの」が残っていました。
そして新曲。つんくがやってくれました。歌詞のどこにも意味がありません。これっぽっちも。完ペキです。ぜひご自分の目で確かめてください。今週号の「CDでーた」とか、歌本とかで。

かくして、送り手は何も意味を込めず、受け手は何も意味を求めないという、世界で一番幸せな関係が生まれました。
ここに割って入って邪魔したり揶揄したりする権利は誰にもありませんぜ。
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正味、「不条理」と「無意味」はまた違うものなのはわかってますけど、「そこに何らかの正当な意味を求めるか否か」というあたりの共通項で、ということにして。
当時相当テンション上がったままこれ書いた記憶があるのですが、よく考えてみたら「LOVEマシーン」あたりから既につんく♂の歌詞からは相当意味が希薄になっていて、ミニモニ。なんて2000年にデビューした時からかなりすごいことにはなっていたわけで。
今のアイドル・グループにはももクロの一部楽曲を筆頭に、全くもって意味のない歌詞を歌うグループが多数存在していますが、アニソンからの流れもあると思いつつ、でもつんく♂の歌詞のスタイルを援用した部分もあるんじゃないかと思うし、少なくともグループアイドルのシーンにそういうスタイルを持ってこれるだけの下地は、それによって既にできていたとは言えるんじゃないでしょうか。

じゃあ、1995年を境に何かJ-POPシーンで何か変わったことはないかと探してみたところ、完全にそうとは言えないものの「これではないか」と思い当たったものがありました。「応援ソング」です。
これも以前の再掲ですが2010年(7/11)にこういうことを書いています。

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80〜90年代の応援ソングは概ね「諦めなければ叶うよ」「負けずに頑張って」的な、聴き手のレベルアップや努力を求めるものが基本だったのですが、2003年にSMAPのアレが売れて以降、「1番にならなくてもいい」「今のままでいいんだよ」的な現状追認型の方が圧倒的に優勢になってきまして。
まあ、聴き手としても頑張らなくてもいいんだったら断然そっちの方がいい。

これって何か、元々日本に入ってきた頃の仏教は戒律や修行をかなり頑張らないと極楽行けない仕様だったのが、だんだん日本国内で様々な宗派が立ち上がるたびに教義が緩くコンビニエンスになっていき、そのうちに「心の中で念仏唱えておけばすべてオーケー」的なノリのまで出てきて主流化したっていうのに近いと思った。

ということで、現在の現状追認型の応援ソングを総称して「浄土真宗型J-POP」と呼びたいと思います。
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この「浄土真宗型J-POP」への流れの発端が1995年ではなかったのか、と。
ヒットチャート上位までいった「応援ソング」をざっくり洗い出してみると以下のような感じ。

1989:Runner / 爆風スランプ
1989:Diamonds / PRINCESS PRINCESS
1990:夢を信じて / 徳永英明
1990:愛は勝つ / KAN
1991:それが大事 / 大事MANブラザーズバンド
1991:PIECE OF MY WISH / 今井美樹
1993:負けないで / ZARD
1994:がんばりましょう / SMAP

1989年の2曲等直接聞き手に呼びかけるスタイルではないにしても、まあこんな感じで。これが1995年以降少なくともヒット曲には見当たらなくなってくる。

1995:WOW WAR TONIGHT / H Jungle with t
1996:YELLOW YELLOW HAPPY / ポケットビスケッツ

ここらへんは「応援ソング」ですが、前者は「今はダメだけど何とかしなくちゃ」という気持ちを歌っていて、後者は前提として「自己肯定」がある歌詞。若干毛色が変わった感じ。それ以降、1997年にゆず、1998年に浜崎あゆみ、1999年に19あたりの「聴き手の代弁」とも言えるスタイルを標準装備したミュージシャンが現れます。2000年、鬼束ちひろの「月光」は「現状の抑圧からの解放を希求する(が、現状できていない)」というスタイル。

既存のミュージシャンで応援ソング的な曲はあるにはありますが、その曲が他のシングルと比較して爆発的に売れたという感じではないため、そのメッセージが広く世に求められたという判断はできず、一旦考慮から外しますが、「聴き手のレベルアップや努力を求める」応援ソングによってヒットする新しいミュージシャンがふっつりといなくなり、数年に渡って迷走を続けます。

そしてその迷走に決着をつけ、その先のスタンダードを示したのが2003年のSMAPのアレ、ということになるかと。
まあ、この流れは1995年はきっかけになったにはしても、それ以外に日本が「頑張ってもうまくいくとは限らない」世の中になっていったことが大きな原因だとも思いますが。

ただ、調べていてもうひとつ「(失恋以外の)ネガティブ歌詞のヒット曲の消滅」に気が付きまして。1993年の沢田知可子「会いたい」と森田童子「ぼくたちの失敗」のリバイバル、恐らくこれ以降「ただ滅入る歌詞」の楽曲が大ヒットした事例はないと思うのですが、これは中川いさみ先生曰く「どんどんやりにくい感じ」になっていった結果、だと思います。

結局何が言いたいかというと、1996年にデビューしてトゥーマッチにリアル&ネガティブ路線で攻めた結果、独自性は発揮したものの勝ち切れずに沈んだJungle Smileが大変に残念だということです。