DVDリッピング違法化/違法DL刑事罰化を盛り込んだ著作権法改正案が衆議院で可決

「デジタルコピーは元音源と同じ音質だからコピー禁止」とか、「デジタル放送は画質が良くなるのでコピーワンス」とか、「デジタル」「高音質」「高画質」を理由にして新たに生まれた様々な制限を概ね胡散臭く思っているわけですが、自分にはその気持ちを決定づけた一つの風景があります。

数年前、関西の方のローカル列車に乗っていた時。土曜のお昼過ぎ、およそどこの田舎でもその時間帯の列車は9割方地元の高校生に占拠されているわけで、その列車も座席は完全に高校生で埋まり、自分はドア際にぼんやり立っていたのですが。
そのときけたたましく鳴り始める音。ガンガンに割れていて最初は何かわからなかったけど、よく聞くとエイベックスのある歌手の新曲。ボックス席を占拠していた女子高生グループのひとりがダウンロードしたのでしょう、ガラケーの小さなスピーカーの音量を最大にして友達に聴かせているところでした。

高校生占拠列車はある種の「治外法権」で、自分はそこに入れてもらっているだけだという感覚なので、うるさいけれど別に腹は立てません。ただ、それを見て思ったのは「多分これが彼女たちの日常なのだな」ということ。ガラケーは着うたをダウンロードしたところで通常自由にコピーすることはできず、携帯だけに友達に貸すこともできません。そういう状況で友達と音楽をシェアしようというとき、彼女たちの思い至る範囲ではこれしか方法がなく、だからその酷い音質もきっと彼女たちにとってはこれまでも繰り返されてきた「日常」なのだろうと。
「デジタル高音質」であることが理由でシェアが困難になったとき、彼女たちはその高音質を享受することより「シェアすること」の方を選んだんです。

映像だって似たようなもんで。地デジだ高画質だと言ってる横で、若い子たちはYouTubeやニコ動の酷い画質の映像を「それが普通」として見ている。著作権者側が「音質」「画質」という価値を盾に権利を声高に主張し、守りを固めれば固めるほど、その価値は「不要」と判断されていく。本当は若い子たちにはもっと豊かな音で、もっときちんと聴いてほしいのだけど。でも、彼ら彼女らの今最も大切なWANTSを満たす選択はそっちだったわけで。


そして今回、不正ダウンロードの厳罰化。もう著作権を保持している側が将来どのようなヴィジョンを描いてそういう判断をしたのかまったくわからない。
もちろん不正アップロードまで是としろというつもりはない。でもそっちを更にきちんと取り締まるのではなく、友人同士の融通を含めて全てを犯罪者候補と見做しかねない方向へと進んでいくのは何なんだろう。

これからどうすればいいんだろう。住んでいる町のCD屋は潰れた。友達から借りることもできない。クレジットカードはまだ持てない。携帯料金は親が払っているので勝手にダウンロードもできない。そんな中高生はどうすればいいんだろう。
iTunes Storeは「家族や友人等へのコピーは自由に可能、ただし1ダウンロードごとに固有IDを付与しているので不特定多数にばら撒かれるような事態が生じた際には追跡可能」という落とし所を既に提供しているのだけど、法や罰で縛るのではなくそういう技術を広く使ってきちんと運用する形で対処してはダメな理由があるのだろうか。

友達が携帯にダウンロードした曲を割れた音で再生してくれるのを一緒に聴けばいいということなのだろうか。技術の発達とその運用とで起こるこんな状況。ほんの少しだけだけど「1984」や「華氏451度」の未来と被るんだよ。