11/3、東京ドームのPerfume行ってまいりました。

びっしり人だらけの場外。カオス状態の通路。
幼児から初老まで。オタク少女からギャルまで。野郎集団からカップルまで。
およそ考えられる人種を全て飲み込んでの総勢5万人。掛け値なしの超満員。

今回自分が必死になってチケット取ろうとしていたのは、間違いなくこれが彼女たちのピークだと思ったから。一応でも2003年からCD買って、250人クラスのライブハウスで彼女たちを見て、それ以降もウォッチしてきた身として、このピークはどうしても見届けなくてはいけないと思ったから。

セットリストは正直言うと物足りなかった。5万人の最大公約数的なところに落とし込んだ結果、レア曲はなく、完全なグレーテスト・ヒッツ仕様の展開。そもそも彼女たちの仕様がああいうことになっているので、ライブだからCD音源よりも音楽的な完成度がどうこうということもあるはずもなく、ライブの質としてどうだったかと問われれば、「いつも通り」と言う他なく。

でもその「いつも通り」が5万人の前で通用しているということがすごいんだ。
客いじり、緩いMC、ダンス、歌。250人のときから基本パターンは全く同じ。彼女たちはフォーマットとしてどれだけハナから完成してたんだよ、という驚き。
そして売れなくても売れてもそれをブレることなく続けている彼女たちの意志。それを確認できただけで、行ってよかったと心から思えた。

だから敢えて「すごくいいライブだった」と言うことにします。
すごくいいライブだった。

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最近はツイッターでの暴走っぷりが目に余る乙武さんのブログから。

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「障害は個性です」と語る乙武さん――。

みなさんも、どこかで見聞きしたことのある文言かもしれません。
でも、じつは、僕は一度もこのセリフを口にしたことがないんです。

個性とは、「その人らしさを形成する上で、必要不可欠な要素」。
だから、本来の意味で言えば、障害も個性なのかもしれません。

でも、やはり日本で「個性」という言葉が使われるとき、そのほとんどが
肯定的な意味であることが多いように思うんです。

それでも、「障害=個性」と言えるのか?
ならば、障害という個性があこがれられたりもするのか?
たぶん、答えはNOだと思います。
だから、僕自身は「障害=個性」と言いきってしまうことに、
少なからず抵抗を感じてしまうのです。

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面影ラッキーホールの1stアルバム「メロ」に収録され、それ以降リメイクもされず廃盤のままで、ライブでもごく初期にやっていた記憶はあるものの(3年半前、Perfumeを前座にした時のライブでも確かやっていたはず)、ここ数年全く演奏されることのない「ラヴ・ボランティア」という曲があるのだけど。その歌詞の一部。

生まれもっての障害や境遇を一種の個性と見なすならば
だからおまえらが嫌いだとはいて捨てることもできるのだ

半端なノーマライゼーションを俺に訴えかけるんじゃねえ
半端な差別でよう俺を絡め捕るんじゃねえ

ニュアンスは乙武さんの言ってることと全く同じだ。乙武さんはものすごく言葉を選んでいるのだけど。
でも、同じことを言っているはずのこの曲が廃盤であるその理由がたやすく想像できてしまうことが、何となく今のこれらの状況のややこしさを物語ってると思った。